話せなくても伝わる思い 生きる意味、ももちゃんがくれた

西日本新聞 くらし面 三宅 大介

■脳性まひの橋村ももかさん 同級生や教員が追悼文集

 体を自由に動かせず、話はできなくても、大きな車いすで地域の小中学校に通い続けた橋村ももかさん=熊本県益城町。昨年、17歳6カ月で亡くなった。「ももちゃんがいたから頑張れた」「支えられたのは、自分の方」。同級生や教員が思いをつづった追悼文集が完成した。どんな障害があっても、そこにいるだけで、伝わるものがある。言葉の一つ一つが「共に生きる」意味を教えてくれる。

 脳性まひのももかさんは教員に勧められ、地元の小学校に入学した。1年生のときに大きく体調を崩したのを機に、胃ろうやたんの吸引など医療的なケアが必要になったものの、学校側が看護師を配置。親の付き添いなしに、そのまま地元の中学校まで通った。

 文集は、ももかさんの母、りかさん(47)も所属する「医療的ケアを必要とする子どもたちの豊かな学校生活を願う親の会・虹色の会」が、ももかさんの「生きた証し」を残そうと、りかさんに相談。同級生や教員に声を掛け、ちょうど一周忌の日に発刊した。

 ひたむきさ刺激に

 ももかさんは、まばたき2回が「はい」の返事。「大人の機能訓練ではなかなか効果がなかった」(りかさん)のに、友だちが近くにいると、進んで手を伸ばして触ろうとした。ピンと伸ばすなど足の動きでも意思表示。授業や修学旅行だけでなく、小中の体育会はリレーも含めて全競技に出場し、文化祭、合唱コンクールも皆と楽しんだ。

 同級生のうち、寄稿したのは14人。「初めは自分が支えなきゃという気持ちだったけど、ももちゃんは常にがむしゃらで、ひたむきで、笑顔で。実は支えられていたのは自分かも」とある女子生徒。別の女子は「自分は価値がなく、死にたいと考えたこともある。ももかちゃんに生きる意味をもらった」と感謝し「集団宿泊で、こっそり恋バナして楽しかった」。隣の席だった男子も「絆なんてかけらもない学級を、一つにしてくれた」…。

 便箋や紙切れに、それぞれびっしりとつづった文章はすべて掲載。「ももかが、仲間たちにもらうものばかりだと思っていた」りかさんは「逆に力になれることがあったんだなあ、と胸がいっぱいになりました」。

 「してあげる」誤り

 障害児も地域の学校で一緒に学ぶ教育を目指す機運は、各地で高まりつつある。ただ教員たちは、ももかさんを受け入れる戸惑いや葛藤も、正直に記した。

 意思伝達や移乗方法など「何も分からず不安だった」という小学校で2年間担任した元女性教員は「過度に手を出し、私が何かやってあげなければと勝手に思い込んでいた」。運動会でのソーラン節やリレーで「ももかさんが安心して参加できる方法」を、上級生を中心に子どもたちだけで決めていく姿などに触れ、考えを改めていったという。

 一方、共に学ぶ教育の意味を「頭では分かっていても、しっくりこなかった」と吐露したのは中学で担任をした女性教員。「心配しながら行った」保育所での職場体験で、「このお姉ちゃん変だよ」「おばけみたい」と驚いていた園児たちは、互いに自己紹介を終えると「あっという間に」仲良くなった。体育大会のリレーなどで車いすを押した男子生徒も「僕たちが楽しかったから絶対、ももちゃんも楽しかったと思う」と笑顔だった。こうした毎日の積み重ねを経て「一緒に過ごした時間と空間の意味」に気づいた。言葉はなくても、違いがあっても、誰もが理解し合えると。

 親も差別していた

 中学時代の終盤、筆談もするようになったももかさん。卒業後は県立の特別支援学校高等部に進学した。熊本地震を経験し、仮設住宅暮らしから自宅に戻り、普段通り学校生活を送っていた3年の初秋。体調が急変し、帰らぬ人となった。

 実は小学生時代の同級生は今回、だれも寄稿していない。「でもみんな一周忌の日に来てくれて、これからも会いに来るから、書く必要ないもん、って言ってくれました」とりかさん。常に一緒だった仲間の急逝に、まだ筆を執ることができないのかもしれない。

 「障害があるのに、地域の学校に行く意味があるのかと、かつては私も考えていた。親が差別していた。わが子の思いや可能性を信じて、握った手を離してみると、何と大きくなっていったことか。ももかと、仲間の子どもたちに教えられたことばかりです」。文集には、そうしたりかさん自身の思いも掲載している。

 A5判、90ページ。税込み500円。注文は「くまもと障害者労働センター・おれんじ村」=電話096(382)0861=へ。 (編集委員・三宅大介)

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