平野啓一郎 「本心」 連載第81回 第五章 “死の一瞬前”

西日本新聞 文化面

 母にそれが理解できないことを、僕は世代の問題と考えていたが、
「でも、朔也(さくや)にはそういうことが出来ないでしょう?」

 と言われれば、非現実的なのがどちらなのかは明らかだった。

 母は、我が子の境遇を案じて泣いているのだと、僕はずっと信じていた。しかし、三好にそのことを告げた口調には、どことなく、母自身の悔恨の響きが感じられた。

 母は、僕が高校を中退する決断をした時、それを家計の苦しさを案じてのことではないかと何度も問い質(ただ)した。僕は否定したが、その憶測(おくそく)は、母の自尊心を傷つけていたのではないかと、僕は初めて真剣に考えた。

 心配だっただけでなく、母は、僕を恥じていたのではなかったか?
 
      *
 
 三好と会って、母の話をもっと聴きたかった。

 約束の前日、深夜に珍しく、岸谷から連絡があった。何ごとかと、僕はモニター越しに応じたが、彼はただ、「いや、何となく話がしたくなって。」と言っただけだった。

 自宅のベッドに座り込んで話をしているようで、洗濯物や本が雑然と散らかっている様が見えた。彼の部屋を目にしたのは初めてだった。僕を呼びたがらない理由もわかった。

 岸谷は、画面にぶつかりそうなほど身を乗り出して、最近、“ヘンな趣味”のカップルに依頼されて、また、セックスのアバターを務めた話をした。高齢の男女で、男の方はEDらしく、自分に代わって相手を喜ばしてやってほしい、というのだった。
「そんなこと、よくやるな、相変わらず。……」

 僕は、呆(あき)れながら言った。
「いや、まァ、結局オレも、いざとなると期待に応えられなくて、ダメだったんだけどな。」

 そう言って苦笑すると、彼は、「そのあと考えたんだけど」と、次のようなことを、夢中になって話し始めた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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