「争わず競え」と教える コーチ業

西日本新聞 ふくおか都市圏版

平和台を創った男 岡部平太伝 第5部(5)

 ボストンマラソンを制し、帰国した岡部平太は、県立修猷館高や福岡教育大のほか、東京の国士舘短大などで教壇に立ち、同時にコーチとしてグラウンドで若者たちに指導した。教え子の一人で、日本サッカー界を先導してきた国士舘大の理事長、大澤(おおさわ)英雄(83)は、きっぱり言う。

 「岡部さんがいなかったら、今の自分はいない」

 出会いは、大澤が国士舘短大にサッカー部を創設した1956(昭和31)年。グラウンドの隅に立っていた老人から突然、「君たちは弱い」と言われたのが始まりだった。

 当時、65歳の岡部だった。大澤は「何だ、このじいさんは!」と腹を立てたが、来る日も来る日も現れてはスポーツ理論を展開する根気強さに引かれていく。

 その夏に開かれたメルボリン五輪で、金メダル確実と言われた三段跳びの小掛(こがけ)照二が8位に終わった。小掛は国内予選で世界記録を出していただけに、スポーツ関係者は「根性がなかったから負けた」と批判していた。だが、岡部は真っ向から否定した。「小掛の記録を全部調べたのか」。聞かれた大澤が「いいえ」と言うと、岡部は解説を始めた。

 「彼が100回跳んだ平均は、15メートル50センチ。オリンピックの記録はそれを上回る15メートル64センチ。彼はベストを尽くした。ただ、その力が8位だったということだ」

 大澤は驚いた。体を鍛え、ひたすら耐え忍ぶことがスポーツだと思っていたが、岡部の考えは違った。

 「精神を鍛えることを否定はしないが、スポーツには科学的な根拠がいる。日本では勝てと言わないが、世界は勝つために何をすべきか、科学的に考えてやっている」

 大澤はいつしか、グラウンドで聞いた岡部の言葉をノートに付け始めた。「練習過多はけがにつながる」「技術や形にばかりこだわるな」「教えすぎると選手の創造性をなくす」。指導者を目指す大澤へのアドバイスだった。中でも、心に刻まれている言葉がある。

 「フェアプレーで勝て。スポーツは争うものではなく、競うものだ」

 その教えを守り、大澤は監督となってサッカー部を全国制覇へ導いた。

 コーチ業について、岡部は「この上なく楽しく、尊い仕事」と語っている。それは、96歳までグラウンドに立ち続けた米国の師スタッグの精神そのものだった。

 =文中、写真とも敬称略

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