70歳で博士号、水泳界に一石

西日本新聞 ふくおか都市圏版

平和台を創った男 岡部平太伝 第5部(6)

 岡部平太は1956(昭和31)年、ブリヂストンの創業者、石橋正二郎に請われ、久留米市に開園した石橋文化センターのスポーツ部長に就任した。体育館、プール、テニスコート…石橋が市に寄贈した広大な施設で、各種競技大会を精力的に開催した。

 妻ステと施設の寮に住み込んだ岡部は、研究にも注力。5年後の61(昭和36)年には、久留米大の医学博士号を取得する。博士論文のタイトルは「年齢別にみた水泳のエネルギー代謝」。70歳になってからの大願成就だった。

 岡部は満州時代、高校生の女子2人に自由形と平泳ぎを指導し、極東選手権で大活躍させた。その経験から「若年層の優位性」に着目。博士号を取得する7年前に、国内留学した東京教育大で実験していた。

 中学生から社会人まで45人の選手を集め、全力で泳ぐ時の酸素消費量、スピード、エネルギー代謝率を年齢別に調査。選手たちに顔を覆うマスクを着けさせ、呼気を採取して分析した。

 その結果、18~19歳の運動効率が突出して高いことが判明。岡部は論文を提出したが、研究手法や分野に「前例がない」と認められなかった。これが日本水泳界にとっては痛手となる。同じ内容に気付いたアメリカとオーストラリアに先行され、水泳大国の名を譲ることになったのだ。

 岡部の教え子で福岡教育大名誉教授だった厨(くりや)義弘が指摘する。「先生の先見の明を生かせなかった。当時の日本には論文を見極める人材がいなかった」

 しかし、スポーツ界は再び岡部の力を必要とすることになった。64(昭和39)年の東京五輪開催が決定し、陸上強化コーチを委嘱されたのだ。齢を重ね、既に71歳だった。

 マラソンの強化策を考えていた岡部は、直前のローマ五輪で優勝したエチオピアのアベベ・ビキラに注目。その強さを探ろうと単身エチオピアに乗り込み、選手たちが標高2500~3千メートルの高原で練習していることを知った。酸素が薄い状況下で心肺機能が高まり、持久力が増したのだと考えた。

 帰国すると、北アルプス乗鞍岳などでの高地トレーニングを提唱し、航空自衛隊の低気圧室での実験も行った。日本では初の試みだった。

 こうした岡部の数々の功績が、ついに日の目を見る。

 =文中、写真とも敬称略

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