「風見鶏」誇る気配りの人

西日本新聞 社会面

 【評伝】私が中曽根康弘元首相に出会ったのは大学時代だった。中曽根さんが主宰する政治研究会に、大学の先輩である秘書から誘われた。

 第一印象は、野党時代に吉田茂首相を舌鋒(ぜっぽう)鋭く追及する姿から「緋(ひ)おどしの鎧(よろい)を着た若武者」と政界の長老に称された通り、覇気を感じたことを覚えている。

 奇(く)しき縁で、政治記者として再会した。当時、記者の間で、評判は芳しくなかった。頭の回転の速さが態度に表れ、質問を遮ることもあった。私は、秘書に「まずいですよ」と率直に忠告した。いつの間にか、人の話をメモを取りながら聞くようになっていた。

 自民党幹事長時代、田中角栄氏逮捕後、三木おろしの嵐が吹き、本人も窮地に立たされ、辞任を覚悟した。

 記者会見の朝、自宅に電話があり、意見を求められた。私は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と申し上げた。会見で、その言葉を使ったのには驚いた。

 首相就任当初「田中曽根内閣」と揶揄(やゆ)された。「闇将軍・田中角栄」の支持なしには得られなかった座だ。しかし、ご当人は「一年たったら、角抜きになるよ」と漏らした。その通りになった。保守傍流から天下取りを目指したしたたかさを垣間見た。「風見鶏」の異名も、むしろ自慢にした。

 「ロン・ヤス」の親交を結んだレーガン米大統領が「大統領になるべく10年間帝王学を学んだ」と語ったのを聞き、「僕は30年間やってきた」と豪語した。派内の若手に政策課題の論文の宿題を出し、鍛えた。

 中曽根内閣は「戦後政治の総決算」を標榜(ひょうぼう)した。講演で「新たなる日本人のアイデンティティーを確立し、世界に向かって堂々と前進を開始する」と演説した。

 サミットの記念撮影では、中央のレーガンとサッチャー英首相の間に平然と割り込んで立った。並び順は任期などで決まりがあるが、計算した演技と私は見た。ずぶとい役者である。

 小さな政府の新保守の理念に立ち、行革を断行。国鉄、電電、専売の民営化を果たしたことは特筆すべきであろう。首相公選論を唱え、大統領型首相のリーダーシップが政治スタイルだった。ある意味で戦後保守政治に転換をもたらし、後の小泉、安倍首相の流儀につながる。

 「死んだふり解散」の衆参同日選で大勝。5年の長期政権を築いたのは、ずっと内閣支持率50%超を維持したことが大きい。「民論に直接訴える」が持論だった。また「政治家は歴史観を持たねばならぬ」が口癖で「僕は腹の中に国家を持っている」と言っていた。

 「日本は単一民族国家」などの失言から、国会で人権意識が追及されたが、西日本新聞が同和問題キャンペーンで日本新聞協会賞を受賞した時、毛筆で巻紙にしたためた書状をいただいた。「公器の面目躍如たり。難しい問題に真正面から向き合った勇気に感激し、政治もかくあるべしと確信しました」とあった。外見とは違う気配りの人だったと思う。(西日本新聞元編集局長・稲積謙次郎)

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