身の丈発言と教育の新自由主義化

西日本新聞 文化面

「生まれ」によって自己の可能性の追求奪われる社会が本当に健全か

 萩生田光一文部科学大臣の「身の丈」発言に批判が湧きあがり、大学入試への英語民間試験の導入が延期された。

 民間試験が導入されれば、都市部に住む裕福な家庭に、チャンスが多く与えられる。高額の受験料を支払うことができる者は、複数回の受験が可能となる。民間業者が試験会場を準備するため、受験者数が少ない地方や離島では開催されない。経済状態に恵まれず、地方に住む生徒は、明らかに不利な条件を強いられる。このような不公平な状況をつくりながら、「身の丈に合わせ」た受験を勧める文部科学大臣に、多くの国民が憤った。

 松岡亮二は「萩生田大臣『身の丈』発言を聞いて『教育格差』の研究者が考えたこと」(現代ビジネス、11月3日)の中で、日本を「教育格差社会」と位置付ける。「日本全体を対象とした大規模社会調査のデータを分析すると、出身家庭の経済状態などに恵まれなかった人、地方や郡部の出身者が低い学歴にとどまる傾向が、どの世代・性別でも確認できる」。日本の課題は、「『生まれ』によって最終学歴が異なる教育格差社会」の是正にあるはずが、安倍政権の政策はむしろその強化に向かっている。

 確かに、貧困家庭や地方の出身者でも社会的上昇を果たした実例を見つけられないことはない。しかし、それは全体傾向から外れる限定された事例であり、例外的存在を一般化することで、個人の努力に帰結させる自己責任論には大きな問題がある。

 一体、このような教育観は、いかなるプロセスを経て政策化されてきたのか。その原点として注目すべきなのが、小泉政権時代に出版された中西輝政監修『サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道』(PHP研究所、2005年)である。

 当時、「日本会議国会議員懇談会」の会長だった平沼赳夫は、組織内に「教育基本法改正促進委員会」を設立し、サッチャー政権の教育基本法改正に注目した。04年に中川昭一や安倍晋三と連携し、6人の国会議員を英国教育調査団として派遣。その成果として出版したのが本書である。

 中川は「発刊に寄せて」のなかで、「イギリス病」の背後には「自助努力を忘れ、福祉に依存するようになっていたイギリスの青少年たち」が存在し、彼ら・彼女らに「奮起」を促すために、サッチャーが「イギリスのため、世界のために頑張った先人たちのことを教える歴史教育」を導入したとして評価する。そして、「このサッチャー首相の教育哲学こそ、我が国の発展のために今最も必要なもの」としている。

 調査団が注目するのは、サッチャーが1988年に行った教育改革法の施行である。その中核にあるのは、競争原理の導入と愛国的歴史教育の復活で、これこそ日本に導入すべき「改革」として賞揚(しょうよう)している。

 第二次安倍内閣で文部科学大臣に就任することになる下村博文は、本書の中で、サッチャーが教師の自律性重視よりも国家が教育に責任をとるシステムへ改変したことを絶賛している。また、日本会議事務総長の椛島有三は「イギリス病」の特徴を労働組合の専横による経済の停滞と「自虐歴史教育の横行」「偏向教育」に求め、サッチャーが「経済再建とともに、イギリス国民としての誇りの回復、道徳の重要性を訴え続け」たことを評価している。さらに国家によるトップダウンの新自由主義的教育改革が進んだことを礼賛し、日本への導入を訴えている。

 右派的歴史観と競争原理の導入は、一体の存在として認識され、政策化されていった。教育格差の問題を自助努力に還元し、愛国的な「奮起」によって乗り越えようとする精神論は、圧倒的不利な条件を強いられた学生たちの意欲を、根源的なところで奪ってしまう可能性が高い。高すぎるハードルを目前に、諦めを余儀なくされる学生たちに対して、文部科学大臣による「身の丈」発言は、自己責任論という鞭(むち)となって襲い掛かる。

 「生まれ」によって、自己の可能性の追求を奪われる社会が、本当に健全な社会なのか。自称愛国者の精神論こそが、この国から国力を奪っているのではないか。根源的な問題に立ち返り、安倍内閣の教育改革を見直す必要がある、

(なかじま・たけし=東京工業大教授)

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