「青いポポの果実」/「奈落」/「星月夜」/「最高の任務」

西日本新聞 文化面

 デビュー作「いかれころ」で三島由紀夫賞を受賞した三国美千子の第二作「青いポポの果実」(「新潮」12月号)は、自分のことを「僕」という小学五年生の女の子ナナの視点から、家族や近隣に住む親戚たちのさまざまな行状が語られる。「いかれころ」では四歳の女児を通して世界を描きつつ、語り手の現在は実は数十年後にあることが途中で明かされるが、本作も「僕」が「わたし」になって「夫の男」とのみ書かれる異性と結婚もしている時点からの回想であったことが最後まで読むとわかる。「僕」は情緒不安定で暴力をふるう母親を「雌犬」と密(ひそ)かに名付け侮蔑(ぶべつ)している。父親は「僕」の写真を撮っていかがわしい趣味を持つ連中に売っている。四歳年下の妹のユキ(も自分を「僕」という)は小一にしては異常なほど賢い。

 ある日、隣の「ポポの木の家」に奇妙な一家が引っ越してきたことから物語は展開する。エピソードのほとんどは性的な暗鬱(あんうつ)さを湛(たた)えており、幾つかはグロテスクでさえある。意欲作であることは疑いを入れないが、ちょっと詰め込み過ぎの感は否めない。「僕=わたし」の感情の焦点が母親と妹と隣家の少女に分散してしまっており、なぜこの遠い昔の出来事が今になって語られなくてはならないのか、という動機の必然性がぼやけているような気がした。

 同じく「新潮」に古市憲寿の中編「奈落」が掲載されている。二〇〇一年、人気絶頂時の公演中にステージの奈落に落ちて全身麻痺(まひ)となった若き女性歌手のその後のおよそ十八年(つまりほぼ現在に至るまで)が、体は動かせなくても実は意識ははっきりしている彼女自身の思考に、そりが合わなかった母やエゴイスティックな姉、娘への共感と欲望を取り違える父、恋人になったかもしれなかった男性などの内的独白を交えて描かれてゆく。

 介護の美談の裏側にある欺瞞(ぎまん)の数々を容赦なくえぐり出してゆく筆致は非常に闊達(かったつ)で、とにかく読ませるが、読者の想像に任せる部分がほとんどなく、作者が提示したい物語と主題を何もかも書き尽くしてしまっているような息苦しさを覚えた。もう少し抜くところがあってもいいのではないか。エモーショナルではあるが、率直に言ってありがちとしか言いようのない結末も私はあまり感心しなかった。

 李琴峰「星月夜」(「すばる」12月号)は、台湾人でありながら日本の大学で日本語学習の非常勤講師をしている女性、柳凝月と、その生徒で新疆出身のウイグルの女性ユルトゥズの恋愛関係を軸に話が進む。二人の境遇は異なるが、どちらの生まれた国も中国と深刻な緊張関係にあり、またそのことともかかわって、彼女たちが今いる国、日本での身の置き方も安穏とは言えない。ただ自由に生きたいだけの個人をさいなむ国家間の政治的事情と、女性同士の恋の行方が交錯しながら小説は進んでゆく。ユルトゥズとコンビニでバイト仲間の日本人女子大生が後半で重要な役割を演じるのだが、ある意味あざといと思いながらも胸を打たれた。この作家はデビュー以来、書こうとしているものがはっきりしていて、そしてそれは次第に明確で切実な像を結びつつあるようである。

 同じことが乗代雄介「最高の任務」(「群像」12月号)にも言える。相変わらずブッキッシュ(書痴的)なネタ満載で、癌(がん)であっけなく逝ってしまった叔母との想い出を、大学の卒業を控えた姪(めい)が-まるで小説のような自分の日記を頼りに-思い出す。二人は書物と人生への対し方において同志のような間柄だった。当然、姪は大きな傷を心に負った筈(はず)だが、生前の叔母の機知に富んだ振る舞いの記憶が彼女に単純な悲嘆を許さず、また支えとなってもいる。ところが、一度は本人も出席を辞めようかと思っていた卒業式に両親と弟、すなわち家族全員が来ると言い出し、そこには何やら秘密の計画の気配があるのだった。結末には思わず唸(うな)った。このような独特な発想をこんな内容に仕立てられるのはこの作家だけだろう。

(ささき・あつし=批評家)

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