平野啓一郎 「本心」 連載第84回 第五章 “死の一瞬前”

西日本新聞 文化面

 <あらすじ> 石川朔也はリアル・アバターという仕事をする二十九歳。亡くなった母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)が完成し、朔也は仮想空間で<母>と再会した。朔也は母がなぜ安楽死を望んだのかを知ろうと、安楽死を認めた主治医の富田と会い、母の同僚だった三好彩花と仮想空間で話をした。そんな折、同僚の岸谷から中国へ行こうと思うと告げられる。

  第五章 “死の一瞬前”
 
「いや、仮想空間のゲームだよ。」

「それをやって何になるの?」

「何もならない! はは! 現実は何も変わらないよ。――けどさ、誰を傷つけるわけでもないし、罪のない遊びだよ。」

 岸谷は、それから何人かの首相や経営者の名前を具体的に挙げていったが、僕は聞くべきでないことを打ち明けられているように、表情を強張(こわば)らせた。

「虚(むな)しいよ、そんなこと。」

「いや、気分爽快だね。――まあ、現実に戻ると虚しいけど、そんなことでもないと、やってらんないし。」

「危険だってこと、わかってるよね?」

「どうして? 大丈夫だよ、ちゃんと現実と非現実との区別はついてるから。」

「いや、そんなのに入り浸ってたら、チェックされるよ。全部、履歴が残るんだから。」

「警察に?」

「いつでもデータにアクセスできるんだから。……とにかく、そんなゲーム、おかしいよ。社会の“危険分子”をまとめてリストアップするための罠(わな)じゃない?」

「まさか。考えすぎだろう。」

 岸谷は、そう言って笑ったが、考えてみなかったのか、目が微(かす)かに揺れていた。

「どの道、いいんだよ、オレはもう、日本に愛想を尽かして、出て行くんだから。」

「出て行けなくなるよ、面倒を起こせば。」

「お前、――オレとつるんでると、マズいと思い始めてる?」

「それは、思うよ。」と、僕は冗談めかしつつ、率直に言った。「考えすぎならそれでいいけど。……」

「大丈夫だよ、お前には迷惑かけないから。――ただ、ちょっと話したかっただけだし。」

 それからしばらく、僕たちは黙っていた。実際の時間は、大した長さでもなかったろうが、時の流れがそこだけ弛緩(しかん)して、垂れ下がってしまったかのように、二人とも、深みに下ってゆくに任せて、また這(は)い上がるのに苦労した。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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