【動画あり】筑後から世界へ挑む(5)泳ぐ宝石に愛情 尾形養鯉場社長

西日本新聞 筑後版 片岡 寛

 「5万両(円)!」「10万両!」―。競り人の威勢のいい声につられて、番号が書かれたしゃもじを持つ手が次々に上がる。英国、ベルギー、中国、インドネシア、マレーシア…。世界中から集まったバイヤー約70人が送る熱い視線。その先で優雅に泳ぐのは色鮮やかなニシキゴイだった。

 11月上旬、久留米市安武町の尾形養鯉(ようり)場で開かれた秋のオークション。この日は計286匹が出品され、100万円を超える値が付くものも。最高額250万円で競り落とされた1匹は来週、中国へと海を渡る。

 30年来の取引があるドイツ人バイヤー、ハンス・ユルゲン・ニンケさん(70)は「ニシキゴイは魚の中で唯一、いろんな模様や色があり美しい」と語る。欧州では庭や池のある家が多いことも人気の理由だ。

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 年間生産数は約15万匹。年商3億~3億5千万円の9割以上を輸出販売が占める。九州では最大級、全国でも指折りの規模を誇る尾形養鯉場。そのきっかけはほんの小さなことだった。

 社長の尾形学さん(64)が明善高生だった1972年、中学時代の恩師からコイの稚魚をもらって育てた。実家は農家。国の減反政策で休んでいた田んぼが最初の“養殖池”になった。「毎日大きくなっていく稚魚を見るのが楽しくて」。父親の反対を押し切り、高校卒業と同時にニシキゴイ生産の本場、新潟県の養鯉場で6年間修業した。

 郷里で商売を始めた当初は、主に国内向けだったが、バブル崩壊で市場が急速に縮小。1991年の台風19号で市内の自社販売店が損壊したことも重なり、海外に活路を求めた。当時からニシキゴイを輸出する商社はあった。だが尾形さんによると、生産者が直接輸出するのは、業界では今も珍しい存在だという。

 別の仕事でドイツに駐在していた兄の寿行さんや、米国にいた親族を頼って販路を広げた。輸出は全て空路。かつては到着後にコイが死んでいたり、経由地の空港に取り残されたりとトラブルも続いた。試行錯誤して、水とコイが入ったポリ袋に酸素を詰めて箱詰めすることで、最大30~40時間の移動が可能になった。

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 美しい個体を生み出すために雄と雌をどう掛け合わせるかや水質管理、生まれた稚魚の選別など、ニシキゴイ生産は経験と勘に頼る部分が大きい。本物の美しさを生み出せるのは、数十万~数百万匹に1匹の確率。そんな業界で全日本錦鯉品評会総合優勝を果たしたこともある尾形さん。「ニシキゴイは泳ぐ宝石。愛情をどれだけかけるか、素材の磨き方で輝きが違ってくる」と力を込める。

 「愛好家がゼロだった欧米にはある程度、行き渡った。だが東南アジアには桁違いのお金持ちがいる。彼らにニシキゴイの醍醐味(だいごみ)を伝えて市場を作っていくことが、これからの仕事」。尾形さんが手塩にかけて磨き上げた宝石が新興国で輝きを増す日も近い。 (片岡寛)

 =おわり

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