能古博物館30年 引き揚げの記憶、次代へ

西日本新聞 ふくおか都市圏版 下村 佳史

 終戦翌年の1946年夏、旧満州(中国東北部)からの引き揚げ船が博多港に入った。「内地に着いたぞ」。こう叫びながら、船内の人々は陸地に向かって手を振った。だが、船は能古島(福岡市西区)沖にいかりを下ろしてしまった。

 コレラなど感染症の患者がいないか、上陸前に検疫が行われたのだ。「目の前に日本があるのに…」。もどかしさを募らせ、船上でこんな言葉が漏れる中、船は湾内に1週間停泊した。その船底で、当時小学3年生だった西牟田耕治さん(82)は母親と幼い3人の弟、妹と一緒に過ごした。

 昭和時代の博多湾史を展示の軸とする能古博物館(同区能古島)常務理事の西牟田さんが、古代から大陸の窓口となってきた博多湾と向き合うときの原風景は引き揚げ時の記憶にある。

 元新聞記者の西牟田さんは2007年、知人の原土井病院の原寛理事長に誘われてこの博物館を初めて訪れた。開館20年を翌年に控えていた。原さんは館長として博物館を支え続け、この節目を機に、志賀島で発見された金印の鑑定で知られる亀井南冥の関連資料や、能古島の歴史などが中心だった従来の展示に新風を吹き込もうとしていた。その実現のため、西牟田さんに運営に加わってもらえるよう依頼したのだった。

 こうして10年ほど前、新たなスタートを切った博物館のメインテーマは「博多湾物語」。その柱の一つとして「海外引き揚げの記憶」と題した資料の常設展示を行うようになった。市民福祉プラザ(中央区)で市が引き揚げ資料の展示コーナーを設けるのに先立ち、国内最多の規模とされる139万人の引き揚げ者が苦難の末、博多港に戻ってきた史実を伝え始めたのだ。

 市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」の関係者から提供された、リュックを背負って博多港にたどりついた人々など数々の写真や、ちばてつやさんら引き揚げ体験がある漫画家が描いた絵、引き揚げ証明書などの資料で当時を振り返っている。お年寄りや女性、子どもが多かった民間人の引き揚げ者には、道半ばで倒れた者が数え切れないほどいたという。

 西牟田さん親子も満州の家を出て日本にたどり着くまで1カ月がかかった。「米国から船の貸与があり帰国できる」。親子が住む街にも知らせが届き、貨車で港を目指すことになった。とはいえ、当時、中国国民党と中国共産党の内戦が激化し周辺でも戦闘が続き、家の窓に畳を立てかけ流れ弾を防ぐ日々が続いていた。港に向かう線路は内戦で何カ所も破壊され、途中徒歩を強いられた。母が手持ちの肌着を売って蒸しパンを手に入れた光景が心に残る。

 展示は日本に在留した朝鮮半島や中国大陸の人々約50万人が博多港から帰国した事実にも目を向ける。徴用された「全羅北道女子勤労挺身(ていしん)隊」の少女たちが、帰国を前に安堵(あんど)して笑みを浮かべる集合写真は、終戦を迎えた心境をまざまざと伝えている。

 「どうしてこれだけ多くの人が大陸へと渡り、日本に戻って来なければならなかったのか。そして、中国や韓国の人々が終戦後、故国へと帰っていったのか。引き揚げを通して戦争を考えてみてほしい」。

     ◇

 能古博物館は今年開館30周年を迎え、記念誌「博多湾物語」(A4判44ページ、税込み750円)を発行。かつて博多港を基地に活躍した以西底引き網漁業を支えた「阿波船」などの展示内容も紹介。同館=092(883)2887。 (下村佳史)

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