聞き書き「一歩も退かんど」(33) 総勢14人もの弁護団 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 中原海雄弁護士の紹介で私の弁護に加わった野平康博弁護士は、人権派の熱心な先生でした。さらに幸運なことに、私は逮捕前日の2003年7月23日、志布志の国民宿舎で、野平先生の聞き取り調査を受けていたのです。踏み字から3カ月。記憶が鮮明なうちに弁護士に記録してもらえたことが、その後の裁判で大いに役立ちます。

 私は刑事も民事も一度に提訴したかったのですが、両先生は「まずは民事だよ」と言われます。刑事訴追中を理由に、相手が民事での証言を拒む恐れもあります。民事で徹底的に争ってから刑事へ、と2段階作戦を描いたのです。

 ところで、この聞き書きで私は「踏み字」「踏み字」と話していますが、当時は「踏み絵のような行為」と表現していました。でも、踏まされたのは絵じゃなくて字です。そこで中原先生が発案しました。

 「『踏み字』でいいんじゃない。前代未聞の踏み字事件、これで行こう」。闘いの旗印が決まりました。 年が明けて04年1月6日の県紙に、志布志事件で処分保留だった私が不起訴になったとの記事が載りました。寝耳に水。何でいまさらと戸惑いました。

 新聞によると、処分が決まった日付は03年12月26日。こんな大切なことを当事者に一切知らせず、新聞発表で済ませるとは…。野平先生に電話すると、先生も知らなかったとのこと。一般社会ではあり得ませんよね。これこそ検察の傲慢(ごうまん)ではありませんか。

 とはいえ、これで完全な自由の身。月に数回の鹿児島通いが始まりました。

 「川畑さん、どんな格好で紙を踏まされたの?」

 「右が先? 左が先?」

 両先生が私を椅子に座らせては、代わる代わる両足を握ります。何度も踏み字を実演して、提訴に備えてくれました。

 ただ、密室での人権侵害を立証する基になるのは、私の証言だけ。「この手の国賠訴訟は簡単に勝てないよ。難しい案件であることは覚悟してほしい」と両先生。「それでもやります」ときっぱり答えました。

 すると、両先生がアクションを起こしました。「いまだに江戸時代のような取り調べが横行しているのは看過できない」と、弁護団に加わる先生方を広く募ったのです。末永睦男先生、森雅美先生ら、総勢14人もの弁護士が私の訴訟代理人に名を連ねてくれました。そうそうたる援軍を得た私。後はやるだけです。 (聞き手 鶴丸哲雄)

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ