平野啓一郎 「本心」 連載第86回 第五章 “死の一瞬前”

西日本新聞 文化面

「そう思わされてるんだよ、それは。本心じゃないね。不幸な人生に留(とど)まって、大人(おとな)しくしているように、オレたちはみんな呪いをかけられてるんだよ。バラ肉の牛丼を牛ヒレ肉のステーキ丼だって思い込んでも、バラ肉はバラ肉だろう? AR(添加現実)でごまかしても、VR(仮想現実)でごまかしても、何も変わらない。結局、行動するしかないんだよ、世の中を変えるためには。」

 明らかに、“暗殺ゲーム”で気晴らしすることとは矛盾していたが、僕はそれを指摘しなかった。そして、「もう十分」という言葉に関しては、僕の認識とほとんど同じであったにも拘(かか)わらず、母が自らの死を見つめながら最後に考えたことを、否定されたような悲しさを感じた。三好と話せば、母の弁護をするためのもっと深い思いが理解できるのではと、ふと思った。

 そして、「行動するしかないんだよ」という言葉にまで踏み込んだ彼が、言わずにいるその先を不穏に想像した。

 岸谷は最後は、

「ちょっと、トイレに行きたくなったし、そろそろ切るよ。ビールを飲み過ぎて。遅くまでありがとう。」
 と唐突に会話を終えた。僕は、

「ああ、じゃあ、また。」

 とそれに応じ、画面を閉じたが、リヴィングで独りになると、もっと別の言葉でやりとりを締め括(くく)るべきだったのではないかと、しきりにそれが気になった。 
 
  第六章 嵐のあとさき
 
 三好と会う日の朝、僕は起き抜けに会社から連絡を受け、岸谷について、何か知っていることはないかと尋ねられた。

 前夜に会話したばかりであり、僕はそのタイミングに嫌なものを感じたが、少し話をして、偶然というより、寧(むし)ろ、必然的と思い直した。

 担当者は、岸谷は最近、勤務態度に問題があり、評価が3・8にまで落ちていると言った。彼に限って、そんなことは、これまで一度もなかったはずだったので驚いた。しかし、この仕事を人が辞めていく際の、典型的な過程ではあった。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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