中村哲氏死去 その志は暴力に屈しない

西日本新聞 オピニオン面

 あまりに突然で痛ましい知らせに、悲憤と悔しさがこみ上げて仕方がない。その活動は、世界にも類例のない草の根の国際貢献だった。

 戦火と干ばつによって荒廃したアフガニスタンの大地で、人々の暮らしを支え続けた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師(73)=同市出身=がきのう、現地で凶弾に倒れた。

 車で移動中に武装した男らに襲われ、中村さんを含む計6人が死亡した。事件が起きたのはイスラム過激派組織などが活動し、治安が悪化している東部のナンガルハル州である。

 誰が、どんな目的で、襲ったのか。詳しい事実関係や背景は不明だが、決して正当化されることのない愚かな行為だ。

 ▼義と情からの国際貢献

 困っている人を見捨てられない‐。「義」と「情」に突き動かされた活動だった。かつて北九州・若松で港湾荷役を取り仕切った玉井金五郎を祖父に持つ人らしい、気概であろう。

 1984年、アフガン国境に近いパキスタンのペシャワルを拠点にハンセン病患者らの治療活動を始めた。そこで知ったアフガン難民の窮状が、地域を再建していく壮大な支援へと中村さんを駆り立てた。

 ペシャワール会の支援で、アフガンの無医地区に診療所を開設する一方、干ばつに苦しみ飲料水の確保もままならない人々のために自ら井戸を掘り、農作物の作り方を教え、現地の人々と手を携えて、幾多の水路を完成させた。すると、大干ばつで無人となった村々に住民が戻り始めた。赤茶けた荒れ地が緑の農地としてよみがえった。

 政治的な背景を伴いがちな国際社会のアフガン支援とは距離を取り、独立独歩を貫いた。

 ペシャワール会の活動を国際協力というより「九州‐アフガン東部の地域間協力」と表現したこともある。

 国家に頼らない。あくまで人と人の「泥くさい義理人情や素朴な共感」に支えられ、アフガンの大地に立ってきた。

 その志を30年以上にわたり持続した。生半可な覚悟でできることではない。

 ▼戦では何も解決しない

 中村さんが最初に現地に入ったのは、旧ソ連の介入で深刻化したアフガニスタン紛争のまっただ中だった。2001年に米中枢同時テロが起きると、米軍はアフガンの首都カブールへの空爆を開始した。長期にわたる政情不安の始まりだった。

 08年には、中村さんと一緒に活動していた伊藤和也さん=当時(31)=が武装グループに拉致、殺害される痛ましい事件も起きた。この憤りと悲しみを友好と平和への意志に変える。そう誓った中村さんまでが、不法な暴力に命を奪われた。

 中村さんの活動は、戦争や内戦がもたらす恐怖と悲惨のすぐ傍らで続けられてきた。文字通り命懸けの「丸腰の途上国支援」だった。今、深い悲しみとともに、そう実感するばかりだ。

 アフガニスタンの人々は日本に親密な感情を抱いている。中村さんは自信を持って、そう繰り返してきた。「戦争をしない平和な国」というイメージが友好関係の下地にあるとも話していた。それだけに、安倍晋三首相による安全保障政策の転換には強い懸念を示してきた。

 中村さんは、武力や軍事力で自分を守ることができるという考えを「迷信だ」と一蹴していた。「暴力に対して暴力で報復するのではなく、人が餓死するような状態を解消しなければテロは根絶できない」と強い口調で語り、アフガン復興に全てをささげて取り組んだ。

 「平和の維持には戦争より勇気と忍耐がいる」

 非業の死を前に、私たちは中村さんから託された、このメッセージを決して手放してはならない。

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