【きょうのテーマ】戦跡を歩き平和を思う 飛行場跡で悲劇実感

西日本新聞 こども面

こども記者 フィールドワークに参加

 「12月8日」は何の日でしょう? 1941年に太平洋戦争が始まった日です。戦争中、朝倉市、筑前町、大刀洗町(いずれも福岡県)にまたがる地域に、旧陸軍の大刀洗飛行場(19年完成)がありました。戦争末期には空襲にさらされ、600から千人の命が奪われました。筑前町立大刀洗平和記念館では年2回、飛行場跡をバスで巡る「戦跡フィールドワーク(現地調査・FW)」に取り組んでいます。こども記者がFWに参加、戦争の傷痕を歩きました。

【紙面PDF】きょうのテーマ=戦跡を歩き平和を思う

 記念館は飛行場の跡地にある。山本孝館長(54)によると「海風に影響されず、軍艦の砲弾が届かない平地を探した結果、ここに飛行場の建設が決まった」そうだ。FWを始めた理由を聞くと、「館では展示できない施設や空襲の跡を見ることで戦争の悲劇をより実感できる」と答えた。

 FWに参加する18人を前に山本館長は飛行場について①「東洋一」とうたわれた規模と戦力を誇った②周辺に町ができ「軍都」としてにぎわった③沖縄に向かう特攻隊(爆弾を積んだ飛行機で乗員もろとも敵艦に体当たりする)の中継基地でもあった-などと説明。飛行学校も置かれ、10代の少年飛行兵が飛行機の操縦や整備を学んだ。「厳しい訓練に耐えられず、逃げ出した少年もいた。多くが特攻で命を落とした」

 ■のどかさの中に

 ボランティアガイドの北村紀子さん(72)とバスに乗り、約2時間のFWに出発した。最初に下車したのは時計台跡(筑前町)だった。「ここに航空部隊の本部があった。時計台は現在は慰霊碑になっている」と北村さんは説明。道路を挟んで軍用機の射撃訓練の観測に使われた監的壕(戦後この場所に移動)があった。風化したコンクリートに時の流れを感じた。

 次は大刀洗公園(大刀洗町)へ。周辺には軍の工場があった。45年3月27日、飛行場一帯は米軍機の空襲を受けた。戦争に行った男性の代わりに工場で働いていた多くの女性が犠牲になった。北村さんは「13歳の女の子が亡くなったという証言もある」と話した。

 青空の下、公園には子ども連れや犬の散歩をする人がいた。のどかな「今」と黒煙と負傷者のうめき声に満ちた空襲の風景が重なり、ぶるりと体が震えた。

 ■奪われた夢と命

 空襲から飛行機を守るために造られた掩体壕などを車から見た後、最後に「頓田の森」(朝倉市)を訪ねた。同じ日の空襲で、森に避難していた立石国民学校(現在の朝倉市立立石小学校)の児童31人が1発の爆弾で爆死した場所だ。千羽鶴が飾られたほこらがあった。「慰霊祭では亡くなった子の同級生がお参りに来てくれる。みんなまだまだ生きられたのにね」と北村さんは声をつまらせた。

 私たちもほこらに手を合わせた。みんな大きな夢やすごい才能があっただろう。大切な命が一瞬で奪われた現場に立ち、たまらない気持ちで胸がいっぱいになった。

 ●「命がもったいない」 ボランティアガイド北村さんに聞く

 北村紀子さん(熊本県八代市出身・筑前町在住)は、記念館のボランティアガイドとして約7年活動している。ガイドをやろうと思ったきっかけは、大刀洗空襲を体験した郷土史家、高山八郎さんの講話を聞いたことだった。「頓田の森を歩いて、子どもたちの無念を伝えなければと強く感じた」と振り返る。

 高山さんから飛行場の歴史を学び、自分でも関係者の遺族に話を聞くなどして知識を蓄えた。「覚えるのは大変だったが、来場者に間違ったことは伝えられないので頑張りました」

 昨年、約9万5千人の来館者があり、うち2万5千人が小中高生だった。ガイドで大事にしている事を聞くと「『今は平和でありがたいね』とはあえて言わない。子どもたちが自ら考え、平和を守りたいという気持ちを持ってくれればうれしいですね」と答えた。「生きていれば世の中を変えるような働きをした人もいただろう。命がもったいない。そのひと言です」

 ●わキャッタ!メモ

 ▼筑前町立大刀洗平和記念館 福岡県筑前町高田。2009年開館。大刀洗飛行場の歴史や特攻に関する豊富な資料を展示。「零戦」などの実物もある。次回のフィールドワークは来春の予定。入場料は大人600円、高校生500円、小中学生400円。12月26~31日は休館。電話=0946(23)1227。

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