山田堰に光「中村哲先生のおかげ」 アフガン潤した先人の知恵に着目

西日本新聞 ふくおか都市圏版 横山 太郎

 戦火と干ばつで荒れたアフガニスタンの農地を潤し、平和の芽を-。凶弾に倒れた中村哲医師(73)が生涯をかけた信念に、多くの市民が共感し、尊敬を込めて活動を支えてきた。朝倉市の「山田堰」を管理する山田堰土地改良区前理事長の徳永哲也さん(72)もその一人。「活動は無私の奉仕。先生のためなら、ひと肌もふた肌も脱ぎたくなる。そう思わせる人だった。亡くなったなんて信じられない」。突然の訃報に無念さをにじませた。

 出会いは2009年。山田堰(ぜき)の視察に来た中村医師を、当時事務局長だった徳永さんが対応したことから親交が始まった。「世界に誇れる山田堰にスポットが当たっていないのはおかしい。もっと発信すべきではないか」。面と向かって中村医師から指摘され、気付いた。「尻に火が付き、情報発信に力を入れ始めた」

 山田堰にヒントを得てアフガンに取水堰の整備を進めてきた中村医師は、各地の講演会でたびたび山田堰を紹介した。国内外に堰の存在が知られると、地元住民の意識も変化し、川の清掃活動を始めた。その参加者は今や千人規模だ。「先生のおかげで地域の宝であることを再認識できた。みんなで守り、次代につなごうとする機運が高まった」

 今年4月、中村医師の計らいで念願のアフガン訪問が実現。生で見た取水堰は、山田堰とうり二つだった。「時空を超え、アフガンの地にできたもう一つの山田堰。思わず目頭が熱くなった」という。

 地元の土地改良区として、アフガン関係者の視察受け入れにも積極的に応じ、日本の伝統農具の使い方も指導し始めた。「先生はかんがい施設の整備だけでなく、農家の生産性向上を目指していた」。医療からかんがい用水事業、農業の生産性向上と復興支援を広げる取り組みに少しでも協力したかった。

 中村医師が夢見たアフガンの復興は、いつしか徳永さん自身の夢にもなっていた。今秋、理事長を退任。「残りの人生を、先生の活動を支えるためにささげよう」。11月、一時帰国した中村医師に、改めてその思いを伝えたばかりだった。「まだまだいっぱい話がしたかったのに…、悔しい」。中村医師との写真アルバムをめくりながら声を詰まらせた。

 それでも最後は、気丈に語った。

 「アフガン支援が止まることはあってはいけない。先生が一番悲しむから。みんなが一丸となって、さらに支援の輪を広げていきたい」 (横山太郎)

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