失った「圧倒的存在」…中村哲さん銃撃死 ペシャワール会に試練

西日本新聞 一面 中原 興平

 アフガニスタンで凶弾に倒れた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師(73)は、かんがい事業の中心的役割を現地で一手に担い、活動資金集めにも奔走してきた。圧倒的な存在を失った今、どのようにして活動を引き継いでいくのか。残されたメンバーは「事業の継続が一番の供養」と決意を固めながらも、大きな壁に直面している。

 「どうすればいいか。最も相談すべき人がいない」。アフガンでの銃撃事件から一夜明けた5日、会見した福元満治・広報担当理事(71)の声には悲痛さがにじんだ。

 自ら用水路の図面を引いて現場で作業を指揮し重機も操縦した中村さん。州政府や住民と話し合って事業への理解を求め、2010年には住民の心のよりどころとなるモスク(イスラム教礼拝所)やマドラサ(イスラム神学校)まで建設した。

 治安情勢を踏まえ、継続的に現地に駐在してきた日本人は中村さんだけ。活動を共にしてきたのは「ドクター・サーブ」(先生様)と慕う、現地の非政府組織「PMS」(平和医療団)のアフガン人スタッフたちだ。長年にわたって築いてきた地域との信頼関係を礎に、現地で果たしてきた役割には代わりがいない。

 現地の活動を資金面で支えるのは、ペシャワール会に日本各地から寄せられる寄付と、約1万3千人の会費。中村さんは一時帰国するたびに積極的に講演し、活動を報告してきた。話す内容はほぼ同じで、自身も「金太郎あめ」と認めていたほど。それでも各地で聴衆が列をなすほど盛況なのは、活動の意義深さに加え、木訥(ぼくとつ)な人柄に引かれる人が多かったからだ。

 設立当初を知る男性会員は「会はもともと、中村哲のファンクラブ的な色彩が強い」と話す。そもそも、会則が定める会の目的もアフガンなどでの「中村哲医師の活動の支援」だ。

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 「年齢的にも衰えは感じる。いつまでも居座るのはかえって無責任でしょう」。中村さんは生前、そう語っていた。自ら描いていた「ポスト中村」の構想は、現地で活動するPMSの自主自立、自給自足を段階的に達成していくことだった。そのための布石も着実に打っていた。

 昨年1月には現地に訓練所を開設し、熟練工を組織的に育成する計画をスタート。17年からは年に2回のペースでPMSのスタッフを日本に招き、研修を実施してきた。日本国内の支援者と現地スタッフが「顔の見える関係」を築けるようにする配慮だった。専従職員を増やすなどして日本側の体制も強化した。

 それでも、完全な一本立ちにはまだ時間が必要だった。日本の伝統技術を用いて効率的な用水路の維持、補修を可能にした「PMS方式」はアフガン政府から絶賛され、活動地域を拡大する方針も決定。重要な局面は今後も続く見通しだった。

 失った存在の大きさは計り知れない。福元理事は「これまで以上に現地と深くコミュニケーションを取り、何としても事業を続けていきたい」と話している。 (中原興平)

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