【劇評】若者の心象風景、言葉と身体で ジャカっと雀「荒唐」

西日本新聞

 演じ手2人が独特の身体表現を見せながら、とりとめのない独白と対話を連ね、生きづらい時代に生きる若者の姿を映し出す。演劇団体「ジャカっと雀(すずめ)」の舞台「荒唐」が11月30日、12月1日に福岡市博多区のぽんプラザホールであった。(敬称略)

 観客が両側をはさむ長方形の舞台に立つのは、五十嵐晴香と、客演の青野大輔。2人は旅に出るようだが、旅物語のようなストーリーはない。走ったり、泳ぐようだったり、しゃがみ込んだり、時に独特の所作で2人の動きをシンクロさせながら、言葉を繰り出していく。

 「代わりにシフト出て」

 「残業代ついてました?」

 アルバイト先の場面があるかと思えば、詩が読み上げられる。何かのパフォーマンスのコンテストが始まったかと思えば、ラジオのDJが割り込む。

 「こないだの選挙、行った?」

 「進路選択が大変です」

 「年金(保険料納付)の免除の申請」

 2人は日常の断片を言葉に切り取るように演じていく。

 しかし、脈絡がない。場面と場面のつながりが不明だ。耳を澄まし、目を凝らして、せりふから物語の筋を読み解こうとしても一つの物語に結び付かない。そして、もどかしさが募る混沌(こんとん)劇の途上で、はっとさせられる言葉が差しはさまれる。それがこの劇の光るところだと気付き始める。

 たとえば、こんな対話。

 「苦手なことは?」
 「……決断?」
 「やりたいことは?」
 「えっと、なくはない、はずです」

 

 「小学校5年生くらいまででしょうか、『あぁ、生きてるなぁ』と思いながら生きていました」
 「えっ?」
 「それがいつの日にか、ふわりと身体が浮いたように、幽体離脱したかのように、『生きてる』って思わなくなったんです」「自分の身体で、自分の人生を歩んでいる感覚がなくなったんです」

 

 「会話ってのにはリスクがあるんだよ」
 「傷ついたからってなんなの?」
 「世の中の『幸せ』が一個減るじゃん」

  たとえば、独白。

 「情報に溺れて、長いものに巻かれて、誰に敷かれたか分からないレールの上を、私は今日も踊っています」

 若者の感性や本音を、さりげなく織り込むのだ。ある種の不可解なカオスの中に、輪郭がはっきりした、どこか世代を象徴するようなフレーズがにわかに浮かび上がる。

 代表で脚本・演出担当の桑森ケイ(23)は作劇コンセプトについて「『観(み)る』だけではない、『眺める』『浴びる』『感じる』、そんな演劇を」と語る。

 青野が五十嵐の背中を何度も押して駆けださせるが、五十嵐は舞台の端まで駆けては、前を向いたまま走って逆戻りする身体表現が印象的だ。どこか滑稽な動きが、誰かの勧めである道を選んでも何だか違うと迷ってしまう世代の悩みに見えて、さらには人間の根源的な葛藤にも映った。

 ただ、難解で満たされないものが残った。旅なら旅、コンテストならコンテストと基本設定をはっきりさせた上で、万象を織り交ぜる手法ならもっと分かりやすかったのではないか、と思った。

 桑森は「荒唐」を「挑戦的な作品」とした上で、「目の前の分かるようで、よく分からない世界を観て、観客が何かを体感し、考えることがあるとすれば上演した意味があると思う。今の時代、確かなものはあるのだろうか、と疑問に思うことがある。同世代がこんなふうに苦しんでいるんじゃないか、と思って作劇した。ものが多すぎてしんどい。決断が迫られるつらさがある」と話した。

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ