聞き書き「一歩も退かんど」(37) 面会ローテで心支え 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 志布志事件では鹿児島県警の最大の標的が、妻のいとこで県議に初当選した中山信一でした。2003年6月4日に逮捕されると、当然のごとく議員辞職を求める声が上がりました。

 ですが「仕組まれた事件」と主張する中山は職にとどまりました。当選から3カ月以内で辞めると、公選法の規定で次点のI候補が繰り上げ当選するためです。3カ月が過ぎた7月20日付で「勾留中で議員活動ができない」ことを理由に辞職し、翌年7月に補欠選挙が行われる運びに。私たち支援者は、この補選を目指して活動していくことになりました。起訴された中山は、拘置所で接見禁止の身の上。冷たい独房で孤独と焦燥にさいなまれます。

 年が明けてようやく接見禁止が解け、中山の家族と私たち親戚は面会のローテーションを組みました。面会できる日は毎日、だれかが鹿児島拘置支所へ通うのです。そのくらいのことをやらないと、この国の「人質司法」の餌食になった人の心は支えられません。

 中山の長男から「おじちゃん、急用で行けない」と電話が。私がホテルの食事を作る白衣姿のまま車に飛び乗り、鹿児島へ走ったこともありました。

 面会室の会話は大抵、こんな感じ。「外の者も皆、信ちゃんを出すために一生懸命やっとる。気を落とすなよ」と私。中山は「分かっちょる」と強がりますが、「迷惑掛けてすまんな」と弱気な言葉も。私は「なーにをそげなこつ」と返して、「とにかく頑張れ」と繰り返すばかりです。

 時にはこんな話もしました。独房で四股を踏み、体力維持に努めていた中山。「隣の部屋の組員から、うるさいーって怒られた」と、笑い飛ばしました。その後は音をたてないように足踏みに変えて、運動を続けたそうです。

 散った桜がまた咲いて、中山は鉄格子の中で2度目の誕生日を迎えます。そして04年7月2日、9度にわたる申請の末に保釈が実現しました。勾留日数は前回話しましたね。何と395日です。否認事案とはいえ、これほど保釈を拒んだ裁判所の責任は重大です。

 さあ、この日はちょうど中山が被告の立場で立候補した県議補選の告示日でした。中山は拘置所の中から家族を通じ出馬表明をしていたのです。私たちは皆で中山を鹿児島へ迎えに行きました。出てきた中山をお天道さまの下で見た私は「あっ」と驚きます。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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