「石の博物館」新名所目指す 行橋「守田蓑洲旧居」裏山

西日本新聞 北九州版 石黒 雅史

 行橋市指定史跡「守田蓑洲(もりたさしゅう)旧居」=同市=の裏山入り口に「石の博物館」という小さな案内標識がある。だがその先は草茂る石段の道で、とても文化施設があるようには見えない。ネットで検索してもほとんど情報がない博物館とは何なのか? 区長の浜島正憲さん(68)に案内してもらった。

■大坂城の石垣に

 浜島さんは山に入る前、蚊取り線香ホルダーを腰にぶら下げた。虫が多いらしい。虫よけ対策は必需、肌の露出は禁物だ。山道の上り口にある高さ3メートルを超す石灯籠はバランスが悪く、倒れてきそうで近づくのは危険。公的に整備された場所ではないので、自己防衛が山に入る条件になる。

 10メートルほど歩くと、高さ5メートル近い巨石の上に出る。石の上面にはノミで穴を開けた跡(矢穴)が点々と残る。石を割ろうとノミを入れた石工の前に霊が現れて暴れ、怖くなった石工が作業を途中でやめたので割られずに残ったと伝わる。「霊石」と呼ばれるゆえんだ。

 この山には硬くて良質な花こう岩が多く、かつては石切丁場だった。大坂夏の陣(1615年)で傷んだ大坂城を再興するため、徳川幕府が大名に石垣の修復を命じた天下普請(てんかぶしん)のとき、豊前小倉藩主の細川忠興(ただおき)の命で採石し海路で大坂に運んだ場所という。

■8メートル巨石は圧巻

 明治時代、中腹に松山神社が建った。苅田町にあった松山城の守護代・杉氏の家臣だった家系の守田家27代当主蓑洲が、杉氏の霊を祭るために建てたという。社殿は昭和30年代に火事で焼失し、ご神体は市内の正八幡宮に移されたらしい。今は朽ちた仮の社殿跡だけが残る。

 社殿跡の石垣は、元首相広田弘毅の父で石工の徳平が造ったという。その石垣に1個だけ、扇形の石がある。「遊び心なのか、別の意図があるのか不明」(浜島さん)だが、見つけると縁起がいい、気がする。

 探訪コースには松尾芭蕉の句碑や元首相山県有朋(やまがたありとも)の書を刻んだ石碑などが点在し、コース終盤に文字通り最大の見どころ、巨大石碑「神勅碑」が現れる。縦横とも約8メートルの迫力は圧巻だ。明治維新の中心人物の一人、三条実美(さねとみ)が揮毫(きごう)した碑文が刻まれている。

■新コース開拓も

 浜島さんら地元住民など約20人が昨年7月、地域おこしグループ「沓尾学校」を結成。山道の草を刈ったり勉強会を重ねたりして探訪コースを設定し、ガイド役を買って出た。週末、希望者があれば約1時間かけて案内する。「地元にすばらしい文化遺産があるのに、埋もれさせたままではもったいない。故郷の歴史を次世代に伝えていきたい」と浜島さん。

 近くの龍日賣(たつひめ)神社の裏山にある石切丁場跡には、ノミを入れて割ったギザギザ断面の石が多数散乱している。手付かずで荒れ放題のため、来年春までに草を刈り、通路を整備してコースに加える予定だ。「石の博物館」が行橋の観光名所に加わる日は近い?

 専従ガイド役はいないので、案内はスタッフの都合次第。希望者は守田蓑洲旧居=0930(23)5559(土・日・祝日のみ)=に連絡を。無料。(石黒雅史)

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