【中村哲がつくる平和 戦乱のアフガンから】③命の尊重 テロの根を絶つために

西日本新聞 社会面 中原 興平

 リンゴ、衣料、家畜用の牛。雑多な物が売られていた。民族服の現地住民がひしめく広場は、歳末の大売り出しのような活気にあふれていた。

 2014年11月30日、アフガニスタン東部ナンガルハル州のバザール(市場)を訪れた。週に1度の「日曜市」だ。福岡市のペシャワール会が支援する現地の非政府組織「PMS」(平和医療団)が2010年に完成させた農業用水路が、近くを流れる。00年に大きな被害を出した大干ばつで途絶えていたが、再開された。

 水の恩恵で作物が実り、故郷に人々が戻ってきた証拠だ。「人がいるから市が立つ。素直にうれしいですね」。PMSを率いる中村哲医師(68)が笑った。

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 PMSの取り組みは、次々に直面する困難との格闘だった。

 隣国パキスタン北西部のペシャワルで医療活動を始めたのは1984年。1日約50人の患者の半数超は、ソ連軍の侵攻に伴いアフガンから逃れてきた難民だった。アフガン山間部の無医地区の苦境を知り、活動を拡大。一時は両国で最大11カ所の診療所を運営し、約20人の医師が働いた。

 アフガンを襲った大干ばつは再び多くの難民を生んだ。飢えと渇きで体力が落ちた幼児が感染症で死亡する例が激増。多くの病気は清潔な水と食料があれば防げるものだった。「病は後で治す。まずは命をつなぐことだ」。00年に井戸掘りを始め、03年からは用水路の建設に乗り出した。

 治安悪化と米軍の空爆、復興ブームによる物価高騰や医師引き抜き、厳しい自然との闘い。そして、苦楽を共にした若手の日本人スタッフの死ー。

 中村医師は振り返る。「撤退しようと思ったことは何度もある。でもその都度、支援者が現れ、活路を見いだせた。何より何万人の命がかかった事業を途中で投げ出せなかった」

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 用水路の建設現場へ向かう車窓に小麦やオレンジの畑が見える。「ケシ畑がなくなりましたね。この辺りだけが」と中村医師。用水路で潤った地域ではケシ畑が姿を消したのだという。だが、アフガンは今も世界最大のケシ栽培国だ。

 ヘロインやアヘンの原料となるケシは乾燥に強い。水不足で小麦が作れない住民はケシを売って小麦を買い、腹を満たす。収益の一部はタリバンなどの武装勢力に流れるとされる。貧しさがテロを生み、支える構図。この国の現実だ。

 中村医師は著書にこう記す。「正義・不正義とは明確な二分法で分けられるものではない。敢(あ)えて『変わらぬ大義』と呼べるものがあるとすれば、それは弱いものを助け、命を尊重することである」。それが、30年にわたって目指してきた「平和の礎」だと。

 国際部隊の戦闘任務終了で、さらなる治安悪化も懸念され、復興への道のりは険しい。PMSを資金支援する共同事業を11年に始めた国際協力機構(JICA)の福田茂樹課長は「アフガンを自立させテロの温床としないためには、飢餓と貧困から救うことが必要。PMSの実践をアフガン各地に広げていきたい」と語った。(中原興平)

【メモ】
 国連薬物犯罪事務所によると、2013年の世界のケシの違法な作付面積は、約29万7千ヘクタールで過去最大。アフガンが7割を占める。世界食糧計画などの10年の調査では、食糧不足危険度は世界第1位。14年の報告書では「人口の24・7%が栄養不足」と指摘した。

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