【中村哲がつくる平和 戦乱のアフガンから】⑥「皆の夢」 望みはただ平穏な生活

西日本新聞 社会面 坂本 信博 中原 興平

 「ここで子どもが殺されたんです」。アフガニスタンに滞在中の2014年12月、東部ナンガルハル州の用水路の建設現場に向かう車中で、中村哲医師(68)が突然つぶやいた。車窓からは、登校中の子どもや野菜売りの商人が見える。いつもの朝の光景だった。

 事件は14年6月、大統領選のさなかに起きた。軍閥の流れをくむ政治勢力が、ある候補者の応援演説を行っている時に、小学生くらいの男の子が別の候補者の名前を叫び、銃殺されたのだという。近所の農家の子どもだった。

 1979年のソ連軍侵攻と、その撤退後に起きた内戦、2001年に始まった「対テロ戦争」-。アフガンは、絶え間ない戦乱の歴史をたどってきた。今も、年間2万件以上のテロ関連事件が起き、紛争に巻き込まれて命を落とす民間人は09年以降だけで約1万7千人に上る。

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 出口の見えない治安の悪化は、海外からの援助にも影を落とす。

 14年11月24日、都内で、「忘れないでアフガニスタン」と題したイベントが開かれた。英国で開催されたアフガン支援のための国際会議に合わせ、世界約20都市で同時開催されたキャンペーンの一環だ。

 「現地での日本の存在感が希薄になっています。政府も国民も、大変心配しています」。アフガンを支援するNPO法人理事長で、アフガン出身のレシャード・カレッドさん(64)は、シンポジウムで訴えた。

 世界各地の紛争や災害などの緊急支援を行うNPO法人「ジャパン・プラットフォーム」によると、安全確保ができないアフガンには、日本人スタッフが入れない状況が続く。担当者は「現場にいないと、やはりきめ細やかな対応が難しい。まだ助けを必要とする人は多いのに、歯がゆい」と声を落とした。

 反政府武装勢力タリバンが攻勢を強める中、治安権限は年明けに国際部隊からアフガン政府側に移った。アフガン復興の鍵を握る治安の回復。先行きは混沌(こんとん)としたままだ。

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 14年間にわたり、中村医師の宿舎の門衛を務めるムハマド・ジャンさん(64)はもともと、役所に勤めていた。タリバン政権の樹立後に失業したが、中村医師が率いる非政府組織「PMS」(平和医療団)で職を得ることができた。

 当時、アフガンは干ばつで甚大な被害を受けた。ジャンさんは「不作で物価が高騰し、食べ物を買えなくなった。考えるのは食事のことばかり。本当に悲しいことだ」と振り返る。周囲には、失業して食い詰め、誘拐や強盗に走ったり、武装勢力に身を寄せたりする者もいたという。「仕事があれば争いもなくなる。私たちが望むのは、穏やかな暮らしだけなのです」

 「平和」。アフガン人に望むものを尋ねると、異口同音に同じ答えが返ってきた。「どの国でも、人間の幸せとは三度の飯を食え、家族と過ごせて、雨露をしのげることじゃないでしょうか」。中村医師が繰り返してきた言葉だ。(中原興平、坂本信博)

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