アイドル編<444>懐かしさではなく

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 ICT(情報通信技術)の分野で活躍する森本登志男(57)=元佐賀県最高情報統括監(CIO)・東京都在住=は京都大学時代、アイドル研究会の会長をしていた。現在でもAKB48などのコンサートに足を運ぶアイドル歌謡派だ。 

 「私にとってアイドル歌謡は懐かしいといったものではなく、現在形です。仕事の締め切りがギリギリの時に、アイドル歌謡を聴くとテンションが上がり、仕事がはかどります」 

 森本がアイドル歌謡を聴き始めたのは小学校3、4年生のころだ。子どもながらアイドルのファッション性だけでなく、その曲自体に引きつけられたところがあった。例えばアイドル第1世代と呼ばれる南沙織の曲だ。 

 「南に限らず自分の好きな歌の主な作曲者は筒美京平ということが中学時代にわかりました」 

 筒美は日本歌謡史の中で最大のヒットメーカーである。「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)「また逢(あ)う日まで」(尾崎紀世彦)「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)など枚挙にいとまがない。特に南には「17才」を始め多くの曲を提供している。 

 森本は筒美について次のように語る。 

 「歌い手の音域や声質に合わせた丁寧な曲作りをしています」 

   ×    × 

 アイドル研究会時代にはオリコンのランキングを徹底分析した論文を発表した。レコード業界からも注目され、「うちに来てくれ」との誘いもあった。 

 この論文を要約すれば「ヒットの曲線」と言える。デビュー曲が ランキング20~11位、2枚目は10から6位。問題はトップ5の壁だ。

 「常にスターは、5人くらいはいる。その中にいかに入るかがカギになる」 

 そこに入れば曲線は頂点に急上昇し、長らく安定状態を保ち、次の曲も最初から売れる。つまり、3枚目くらいが勝負であり、それには筒美などの作曲家の力も不可欠だった-との解析だ。 

 森本は作詞についても「昭和と平成を分けるものがある」と言う。 

 「平成の歌詞には形而上学的なものが増え、難しくなった。昭和歌謡には日常の何げない風景がわかりやすく歌い込まれていました。70、80年代のアイドル歌謡の曲作りは、今のAKB48などの歌にも引き継がれているように思います」

 森本はアイドル歌謡歴50年を踏まえての提言を口にした。夢でもある。 

 「松田聖子など多くのアイドルを生んだ福岡の地に『昭和アイドル博物館』ができればいい」

 =敬称略

(田代俊一郎)

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