「百の診療所より一本の用水路」ペシャワール会、現地活動30年<下>

西日本新聞

●「百の診療所より一本の用水路」 大地の医師 川と闘う

 「医学部を卒業したとき、まさか川で重機を運転するとは想像もしていなかったのですが…」

 中村哲医師が講演の冒頭で聴衆の笑いを誘う定番のあいさつだ。「昔も今も先生の話は金太郎あめね」とペシャワール会の重鎮たちは苦笑する。

 ハンセン病患者の治療など、医療支援が主軸だったペシャワール会の活動が大きく変化したのは、2000年の大干ばつがきっかけだった。汚い水を子供たちが飲んでは感染症にかかり、多くが死亡した。農地は荒れ、村々が消えた。

 「百の診療所より一本の用水路」を合言葉に、人々が食べて生きていける大地を取り戻そうと「緑の大地計画」が始まった。砂漠化した大地に水を引く用水路建設事業だ。中村医師は白衣を脱いだ。重機を乗り回し、気温50度超の炎熱の大地で元ゲリラ兵らと汗を流した。

 約7年かけてガンベリ砂漠を潤す総延長25・5キロに及ぶマルワリード用水路を整備。砂漠は1万6500ヘクタールの緑の大地に生まれ変わった。稲穂、麦が育ち、イモやオレンジまで実る。65万人が帰農した。住民のよりどころであるイスラム寺院や学校も建設した。

 「住民が必要とすることを、互いに協力しながら実践する」。徹底した現場主義。根底にあるのは「戦よりも食料自給」の思いだ。新たな地域で用水路拡張工事にも着手し、国家プロジェクトに匹敵する事業に挑んでいる。

 ただ、自然は従順でない。ヒンズークシ山脈から流れ出るクナール川はたびたび氾濫し、取水口を壊した。例年よりも水位が低く、用水路から取水できなくなったこともある。

 「気候変動が著しい。人間は自然をコントロールできない。人間と自然の共生のあり方を考え直す時期が来ているのではないか」。十数年、大地と向き合った中村医師の言葉に、講演を聴く多くの人がうなずく。

 自然と共生し、人々が食べていける大地にこそ、真の平和があると信じる中村医師。

 川との闘いは続く。

 ●治水事業に日本の技術 筑後川の山田堰がモデル

 ペシャワール会のかんがい用水路建設事業には、日本の伝統的な治水技術が生かされている。大型の重機や特殊な機器がいらないため、発展途上国に導入しやすい利点がある。

 クナール川からマルワリード用水路に水を取り込む「斜め堰(ぜき)」は、江戸時代に築かれた筑後川の山田堰(福岡県朝倉市)がモデルとなっている。中村哲医師は「ジャララバード北部の穀倉地帯の復活に重要な役割を果たした」と先人たちの知恵に敬意を示す。

 用水路は、住民が修復しやすいように「蛇籠(じゃかご)工」と呼ばれる日本の伝統技術を採用した。鉄線で編んだ四角い籠に石を詰め込んだ蛇籠を、ブロックのように並べる工法だ。コンクリートがなくても護岸工事ができる。さらに土のうを積み上げて柳の木を植えれば、石と石の隙間に無数の根が張り巡らされるため、壁面を強固にするという。

    ×      ×

 ●中村医師とペシャワール会の歩み
1983年 9月 「ペシャワール会」発足

 84年 5月 中村医師がパキスタン北西部のペシャワルのミッション病院に着任。ハンセン病の治療にあたる

 86年 4月 ハンセン病患者の足底穿孔症(うらきず)予防用のサンダルの工房を病棟内に開く

 86年 9月 ハンセン病棟内にミニ手術スペースを整備。難民のための診療所を開設、アフガニスタン人診療チームの組織化を始める

 87年 1月 中村医師とアフガン人医療チームがアフガン難民キャンプへの巡回診療を開始

 88年 7月 中村医師が外務大臣表彰受賞

    9月 初の日本人長期ワーカーとして看護師が赴任。その後も日本人ワーカーの赴任が続く

 89年 3月 中村医師の初の著書「ペシャワールにて」が発刊

 91年12月 ナンガルハル州ダラエヌールにアフガニスタン国内活動の最初の診療所を開設

 93年11月 中村医師が西日本文化賞を受賞

 94年 1月 アフガニスタン・カブールからの避難民の診療を開始

 95年11月 基地病院の設立を決定

 98年 4月 ペシャワルに70床の基地病院PMS(平和医療団)病院を開設

2000年 6月 国連機関がアフガニスタンを含む中央アジア全域で深刻な干ばつが広がっている事実を公表。アフガニスタンで水源確保事業を開始し、井戸の掘削を中心にカレーズ(伝統的地下水路)の修復図る

 01年 3月 アフガニスタンの首都カブールに臨時診療所5カ所を設置

    9月 米国で同時多発テロが発生

    10月 米英軍がアフガン首都カブールへ空爆開始。中村医師が国会衆院テロ対策特別小委員会に参考人として出席。カブールなどで食糧配給開始

    11月 テロ対策特別措置法に基づき、対米支援のためインド洋へ自衛艦を派遣。戦時では初めての自衛隊海外派遣

    12月 アフガン暫定政権が発足

 02年 1月 中村医師ら日本人スタッフが5カ月ぶりにアフガニスタンに再入国

    2月 アフガニスタン東部で農業支援・かんがい用水路建設事業に重点を置き、農村復興を目指す「緑の大地計画」を発表

 03年 3月 ダラエヌールで、マルワリードかんがい用水路の着工

    8月 中村医師がマグサイサイ賞(平和と国際理解部門)を受賞

 04年 3月 用水路の一部で通水を開始

 05年 4月 マルワリード用水路の約7キロが完成するが、各地で決壊

 06年 8月 護岸工事をめぐって対岸の住民同士が対立

 07年 4月 用水路の1期工事13キロが完成

 08年 8月 現地スタッフの伊藤和也さん=当時(31)=が武装グループに拉致、殺害される。中村医師以外の日本人スタッフが一時撤退

 10年 3月 マルワリード用水路(全長25.5キロ)の落成式。難民が用水路流域に帰農し、ガンベリ砂漠開拓が本格化

    10月 国際協力機構(JICA)との共同事業として取水口などを建設開始

    2月 アフガニスタン国会下院表彰

 11年 7月 アフガン駐留米軍の撤退始まる

    10月 対岸の住民同士が和解

 12年10月 連続堰建設が始まる。水稲栽培が爆発的に拡大

    12月 カシコート取水門が完工

 13年 7月 大洪水に見舞われ、連続堰の一部が決壊

    9月 福岡アジア文化賞大賞(異文化理解・国際協力)を受賞

    10月 菊池寛賞を受賞

 14年 3月 中村医師が母校・九州大学の特別主幹教授に就任

    6月 福岡市でペシャワール30周年現地報告会と懇親会開く

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