【アフガンの地で 中村哲医師からの報告】奇跡 砂漠で田植え 死の谷に命吹き込む水

西日本新聞 一面

 これは夢か幻か。夏の東部アフガニスタン。一木一草も生えぬガンベリ砂漠。気温は時に50度を超える。その炎天下で、田植えが始まった。「砂漠で田植え」とは、あり得るのか。少し説明が要る。昨年8月、東部アフガンで24・3キロのマルワリード用水路が7年がかりで開通したことは報告した。この末端が砂漠を横断するもので、すでに潤された二千数百ヘクタールに加え、約1千ヘクタールの農地を新たに生みだそうとしている。そのうち約200ヘクタールをわれわれの試験農場とし、開墾を進めている。現在約22ヘクタールが農地として使えるようになり、一部に水稲栽培を始めたのだ。

 ガンベリ砂漠はアフガン東部では有名で、幅4キロ、長さ20キロ、ジャララバードからラグマン州に至る近道だが、古くから「死の谷」として知られる。幾多の旅人を葬り去り、ソ連軍の戦車隊にも恐れられた。ここを通る者は、かなたに浮かぶ緑地が近くに見えて道を急ぎ、しばしば水無し地獄の中で力尽きてたおれる。東部の住民の間では、「ガンベリのようにのどが渇く」という言い回しがあるほどである。そこを用水路が貫通したので、地元には奇跡として大きな話題になった。

 現在、その開墾が進んでおり、少しずつ緑が広がっている。だが、これまでの灌漑(かんがい)地域は、乾燥化で廃村となった所だったので、村人たちが戻って来ると、回復が早かった。だが、今回はまったくの新開地である。砂丘をならし、砂防林を造成し、熱風を避ける植林、灌漑・排水路網の整備など、膨大な努力が要る。完全な農地化が実現するまで、5年の歳月を見込んでいる。

 全体から見ればわずかな土地の田植えといえども、用水路建設が始まって7年、やっとその恵みの結実を実感する画期的な瞬間だったのである。

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 これに先立って行われた作付けがスイカで、昨年の近隣農家にならって初めての収穫となった。試験農場だから売買はできないが、毎日1―3トンの収穫がある。日本、韓国、パキスタン、アフガン原産ら各種の生産高と味を比較している。最も人気のあるのが日本種で、糖度が高くておいしく、手ごろな大きさである。毎日毎日、600人の作業員たちに配られるが、それでも食べきれない。砂漠の至る所にスイカの皮が散乱し、それを家畜が食べ、脱ぷんする。こうして土地が肥えてゆく。

 近隣農家を合わせると、膨大な量が出荷され、ジャララバードのスイカの値段が半額まで落ち、今や貧乏な庶民でも買えるようになった。さらに、ペシャワルやカブールにも進出し、「ガンベリ」は安くておいしいスイカの名産地として名をとどろかせた。

 水の恵みはこればかりではない。草地が広がると牧童たちが家畜を連れて集まり、畜産も可能である。その他、養蜂(ようほう)、果樹栽培、薪の生産…。およそ基本的な生活に必要なものはほとんど生産できる。大きな貯水池で養魚もできる。用水路着工の7年前、ガンベリ砂漠で、まさか田植えをするとは夢にも思わなかった。死の谷が命の緑野に変じたのだ。

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 先日、いつも通るジャララバード近郊の橋で米軍の車列が攻撃され、7人の米兵が死亡した。動てんした米兵が、数百メートル先で水遊びする子供たちに向かって乱射、4人が死んだ。ひどい話である(ニュースでは「市民を巻き添えにしたテロ攻撃」と発表され、それが世界中に流された)。もはや外国軍に敵意を持たぬ市民の方が、珍しいであろう。道義上すでに敗北した彼らは、何を守ろうとするのか。嘘(うそ)が嘘を呼んで膨らむ架空の世界は、根拠を失って崩壊する。

 命を軽んじて天意から離れ、人の分を超えた思いあがりや虚飾は、滅亡に至る道である。与えられた恵みを忘れ、殺戮(さつりく)に狂奔する姿は、哀れである。

 今、砂漠で田植えを行い、死の谷が命の緑野に変ぼうするさまを見るとき、確たる恵みの実感とともに、世界中にはびこる狂気や不安の運動から、自由であることに感謝せずにおれない。

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 「アフガンの地で」は、荒廃したパキスタンやアフガニスタンで復興支援活動を続ける非政府組織「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表・中村哲医師(63)によるリポートです。随時掲載します。

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