「くさい」を追及せよ 井上 裕之

西日本新聞 オピニオン面 井上 裕之

 「くさい」は新聞記者にとってキーワードである。

 まず「青くさい」こと。記者は学者や評論家とは違う。高尚な理屈は似合わない。軸足は素朴な正義感と市民感覚である。「うさんくさい」話があれば直ちに動く。現場での聞き込み、関係者の夜討ち・朝駆け、資料探し…。いわば「泥くさい」取材もいとわない。それが昨今はどうか。

 「先輩、はっきり言うけど最近の新聞はどんくさいよ。週刊誌に抜かれてばかりじゃないか」。先日、重いパンチのような言葉を浴びた。

 学生時代の後輩と久々に杯を交わした時のこと。瞬時に反論しようとして、思いとどまった。言われてみると、当たっている部分はある。

 今年も相次いだ政界の不祥事。多くは週刊誌の報道が先行し、新聞・テレビは後追いに回った。それを叱咤(しった)する声は読者からも届いている。

 ニュース全体でみれば、新聞が報じた特ダネは数多い。自画自賛になるから、いちいち挙げない。週刊誌のように「これはスクープだ」とPRはしない。それが美学でもある。記者である以上、特ダネは書いて当たり前だ。しかし強がるのもみっともない。

 今の永田町には得意技がある。「くさいものにはフタ」である。実態は真っ黒でも、しらを切って幕引きを急ぐ。安倍晋三首相による「桜を見る会」の“私物化”問題もしかり。報道機関がなめられていることの裏返しだろう。

 そもそも、半世紀以上前から続く行事を新聞、テレビは毎年、のどかな春の風物詩のように報じ、参加者の顔ぶれや予算の執行状況をチェックする姿勢を欠いていた。

 安倍政権下で招待客や経費が異様に膨らんだことは今春の会の後、東京新聞が報じ、野党が追及に乗り出したことで明るみに出た。本来、報道機関全体がもっと早く気付くべきだったのに。不明朗な運営の片棒を担いだ、と言われても仕方なかろう。

 そこは謙虚に受け止めつつ提案したいことがある。会場の新宿御苑は環境省が所管する有料の公園だ。そこを来年から桜の季節の間、無料開放してはどうか。訪日外国人客を優先入場させ、国際交流の花を咲かせる手もあろう。

 入園料(大人500円)収入は減るが、それを惜しむのは「けちくさい」。特定の人々のもてなしに5千万円余の税金を使うよりましだろう。 国会は昨日で幕を閉じた。首相は「逃げ切った」つもりだろうが、まだまだペンを置くわけにはいかない。「くさい」話は徹底追及し、不正があるなら、本から絶たねばなるまい。(特別論説委員)

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