「誰も行かぬなら」背中押した中村哲さんの言葉 ホームレス支援者の思い

西日本新聞 一面 内田 完爾

 アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師(73)の言葉は、時に迷いながらも信念を持って活動する人たちの背中を押した。ホームレスを支援するNPO法人「抱樸(ほうぼく)」(北九州市八幡東区)の奥田知志理事長(56)もその一人。新米牧師だった約30年前に出会った際、嫉妬と尊敬の念が入り交じる複雑な感情で接したことを鮮明に覚えているという。舞台は違えど、中村さんの活動に同じ理念を感じてきた奥田さんは10日、「この悲しみを憎しみに変えてはいけない」と訴えた。

 中村さんが現地代表を務める福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」が発足した1983年、関西学院大1年だった奥田さんは大阪の釜ケ崎でホームレス支援を始めたばかり。中村さんと初めて出会ったのは90年、北九州市八幡東区の東八幡キリスト教会に赴任した時だった。

 中村さんも同じキリスト教徒。同教会の信徒たちがペシャワール会を支援しており、中村さんは94年ごろまで同教会で活動報告会を開いていた。

 報告会には80人もの支援者が詰め掛け、熱気にあふれていた。中村さんの話には圧倒された。パキスタンで、ハンセン病患者がはだしで歩いて傷を負い、血やうみが流れ出て症状が悪化するのを防ぐために、古タイヤでサンダルを作っているとの内容に、思わず聞き入った。

 それと比べて自分の活動を支援してくれるのは10人に満たない。「海外の支援は受けがいい。アフガンもいいが、日本の困窮者はどうする」と嫉妬心が頭をもたげた。同時に「病気を癒やすだけでなく、社会自体を変えていく。スケールが大きく、自分にはとてもできないことだと思った」。

 中村さんは仰ぎ見るような存在で、独特の「近寄りがたさ」も感じていた。講演会で何度も一緒になったが、短い言葉を交わす程度。2人で話し込むような機会はなかったが、その言葉は深く心に刻み込まれている。「生き方、言葉が僕の活動の励みだった」

 中村さんは報告会や講演会で、ペシャワール会の「誰も行かぬなら、我々が行く」という理念を繰り返し訴えた。ホームレス支援を始めた当初、奥田さんは「そんな支援に何の意味があるんですか」とよく聞かれた。ホームレスは「無に等しい存在」で誰も目を向けない。自分と中村さんの活動を重ね、通じるものを感じていたという。

 「頑張ってますか」。2016年9月、福岡市で開かれた講演会で一緒になり、そう声を掛けられた。中村さんの講演をじっくり聞いたのは、この時が最後になった。

 奥田さんは今、中村さんの死をこう受け止める。

 「中村先生は復讐(ふくしゅう)してくれとは言わない人だとみんな確信している。中村哲という人は、自分の命が、次の命につながっていくことを望んでいると思う。この悲しみを自分の生き方にどう生かしていくか。僕はどこに行くべきか考えていきたい」(内田完爾)

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