居場所くれた中村さん 吉武 和彦

西日本新聞 オピニオン面 吉武 和彦

 アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲さんに初めて会ったのは13年前のこと。一時帰国したその足で、福岡市の街を望める高台のホテルのロビーで時間を取ってもらった。

 当時、60万人超と注目された若年無業者(ニート)に関する取材だった。非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表として、アフガニスタンなどで医療や農業支援活動を続ける中村さんが、引きこもりや無職の日本の若者たちを現地で受け入れていると聞き、話をうかがった。

 中村さんによると、若者たちは「自分探し」などのため現地に足を運び、井戸の掘削や水路建設の仕事を手伝ってくれたという。貧しく、困っている人々を目の当たりにして「まるで人が変わったように生き生きと土を掘り、石を運ぶ」のだそうだ。一方で、首をかしげながら、こんな話も打ち明けた。

 「日本に帰ると彼らはなぜか輝きを失い、また元の状態に戻ってしまうんですよ」

 豊かさと引き換えに、日本は何か大切なものを失ったのではないだろうか。そんな会話を交わしながら、中村さんは日が暮れていく福岡の街を窓越しに見つめていた。

 2000年代初頭。職を求める若者たちにとって、日本は冬の時代と言えた。就職戦線は「氷河期」と呼ばれ、希望する職に就けなかった若者が労働市場にあふれた。

 当時、労働者派遣法は改正を重ね、期限や対象業種を拡大。フリーターや派遣など非正規雇用が若い世代を中心に増え、所得格差が広がった。国税庁の調査では働く貧困層(ワーキングプア)水準となる年収200万円以下の人は18年に1098万人に達し、13年連続で1千万人を超える。

 中村さんのかんがい事業は、乾いた大地を緑の農地に変えていった。喜ぶ地元民と共に汗を流した日本の若者も感動を味わったことだろう。

 若者たちの自立には「居場所」が必要だとニートの取材で感じた。中学時代にいじめを受け「人間関係づくりが苦手になった」という大卒の男性の場合、引きこもりの中高生に勉強を教える学習塾で講師のアルバイトを始めたところ人気講師に。男性は「居場所が見つかった」と話した。

 アフガニスタンで中村さんは若者を輝かせてきた。異国の地での農地づくりが、日本では見つけられなかった若者たちの「居場所」になった。渇いた大地と共に心まで潤していたような気がしている。

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 ▼よしたけ・かずひこ 北九州市出身。経済誌記者を経て1999年入社。東京報道部、経済電子版「qBiz」編集長などを経てメディアプランニング部。

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