平野啓一郎 「本心」 連載第93回 第六章 嵐のあとさき

西日本新聞 文化面

「その子の放校処分の取り消しを学校に求めてたんでしょう?」

「……そうです。僕一人じゃないですけど。」

「わたしも昔、その子と同じ仕事してたの。」

 僕は黙って彼女の顔を見ていたが、拒絶的な態度と取られたくなかったので、少し緩頬(かんきょう)した。彼女は、眉に懸かっている前髪を、軽く首を振って分けながら、呼応するように微笑した。

「そのこと話したら、お母さんが、朔也(さくや)君のことを話して、慰めてくれたの。うちの息子は、そういうお嬢さんを守るために、抗議活動をして、退学になったのよって。朔也君のこと、自分にはとても真似(まね)が出来ないくらい、心の優しい良い子だって、いつも褒めてた。だから、あなたのことも、お友達として大事にしないと、息子に叱られるって。」

「母が、そう言ってたんですか?」

「うん、そうよ。すごく嬉(うれ)しかったの。あんまり、そんなふうに接してくれる人、いなかったから。だから、わたし、朔也君のお母さんのこと、すごく好きだったの。歳は離れてたけど、わたしのこの世界での唯一の友達だった。」

「母も、……きっとそうだったと思います。」

「朔也君は、お母さんからすごく愛されてたよ。うちは、母親の再婚相手が頭おかしくて、DVのクソ野郎だったし、給食だけが頼りってくらい貧乏で、高校生の頃からずっとアルバイトして家にお金入れてたし、……羨(うらや)ましいなーって、いつも思ってた。どんな子なのかな、朔也君ってって思ってたよ。」

 三好はそう言うと、自分の口にした言葉の苦みを胃に流し込むようにビールを呷(あお)った。そして、「食べたら?」と、ぼんやりしている僕に勧めた。

 僕は、枝豆を抓(つま)みながら、母が三好を慰め、励ましている姿を想像した。それは、今度は自然と思い浮かんだのだった。

 彼女のことを僕に話さなかったのは、その境遇を慮(おもんぱか)ってのことだろうか? 口外すべきでない、と。

 母が僕の高校中退についてどう思っていたのかは、ずっとわからなかった。

 三好には、それは僕が「優しい」からだと説明したらしいが、恐らく、あの不可解な出来事を、母はそう納得する以外になかったのだった。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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