「どうにか助けて」  連載・霹靂の日々【3】大島一樹

西日本新聞

 救急車が来るまでの時間は、とても長く感じられました。それでも10分から15分といったところだったでしょう。おそらく通報した長女の様子で、緊急事態であることは伝わっていたと思います。到着後すぐに救急車へ乗せ、ドクターヘリも要請してくださいました。それはかないませんでしたが、救命救急センターに着いたのは思ったよりも随分と早かったです。

 同乗したのは私と長女。救急車の中は、サイレンの音がとても大きくて、話しづらかったことを覚えています。今でも救急車のサイレンを聞くと、胸が「ギュッ」としてしまいます。

 オクサンはすぐに処置室へ。私と長女は受け付けをして待合室へ。程なく脳外科の先生から1回目の説明と、手術の同意に関することなど…。初めに説明を受けたのは私だけで、かなり厳しい状況だということを繰り返されました。私は「どうにか助けてください」と言うしかありませんでした。その言葉しか、頭になかったともいえます。

 しかし今思えば、手術適応として微妙なラインだったのでしょう。手術適応が低いとは、手術をしても助からないかもしれない、また助かったとしても重篤な障害が残り、QOL(生活の質)が著しく低下する、そんな状態だったのだと思います。くも膜下出血の重症度としては最も重いグレード5。生還が難しい状況でした。長い、長い一日が始まろうとしていました。(音楽プロデューサー、佐賀県みやき町)

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