炭鉱遺構が輝く大町町 田代 芳樹

西日本新聞 オピニオン面 田代 芳樹

 今夏の記録的大雨で甚大な被害に遭った佐賀県大町(おおまち)町には、隣の武雄市の支局勤務時代に何度も取材で訪れた。知人も多く、とても人ごとではなかった。

 2カ月ほどたった頃、町内でまちづくりに取り組む女性と連絡を取ってみた。杵島炭鉱変電所跡を「大町煉瓦(れんが)館」に再生し、炭鉱遺産を生かした活動に取り組む大西奈々美さん(68)だ。

 「スタッフの家が被災しましたが、徐々に落ち着いてきました」。思いのほか元気な声で安心した。

 だが、町内には家の補修が遅れ、いまだに日常生活に戻れない町民も少なくないという。高台にある煉瓦館は被災を免れたが、少しでも役に立ちたいと同館で炊き出しもした。ただ、東日本大震災の復興を支援する恒例のコンサートは、被災した町の現状を考え中止せざるを得なかった。

 杵島炭鉱の中心地だった大町は今でこそ人口約6700人だが、石炭景気に沸いた昭和30年代には、地元の小学校が週刊誌に「日本一のマンモス校」と紹介されたこともある。

 1969年に炭鉱閉山後、石炭関連の仕事をしていた大西さんの父親が変電所跡を購入し、倉庫などに利用していた。時の流れとともに建物は痛みが激しくなり、補修もままならず無用の長物になっていった。廃虚と化した建物に新たな息吹をもたらしたのが大西さんだ。

 町の盛衰を見続けてきた赤れんがの遺構に魅了され「大町の活性化に一役買いたい」と思い立つ。高校の同窓生や佐賀市のNPO法人の協力で窓枠を補修し、寄贈されたステンドグラスを取り付けるなどした。完成後は、写真展やコンサートなどを開催し、夜間のライトアップもした。

 地道な活動が口コミで広がり、徐々に県内外でも知られるようになった。

 旧産炭地からの脱却を目指していた時には町の疲弊を象徴する「負の遺産」になっていたが、炭鉱で栄えた町の歴史を伝える貴重な「地域遺産」として再び輝きを取り戻した。その過程と挑戦は、災害から復興を目指す町の参考にもなるはずだ。

 落ち込んでばかりはいられない。「前を向いて一歩を踏み出す姿を見せたい」と、26日には、煉瓦館で正月飾りの手作り教室を開く予定という。地元の子どもたちを力づけて新しい年に備える。

 「少しでも笑顔が増えるよう、今も懲りずに頑張っています。また見に来てください」と大西さん。久しぶりに訪れようと思う。

 (クロスメディア報道部)

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ