北朝鮮帰国事業 60年経ても残る人道問題

西日本新聞 オピニオン面

 北朝鮮との関係は拉致問題や核・ミサイル開発に目が向きがちだが、これも日朝間に横たわる深刻な人道問題である。私たちは決して忘れてはならない。

 在日朝鮮人やその家族らが北朝鮮に渡った「帰国事業」は1959年に始まった。北朝鮮に向かう最初の船が新潟を出港して、あすで60年になる。

 終戦後、在日朝鮮人の帰国運動が起こり、事業は岸信介内閣が閣議了解し、両国の赤十字が共同で行った。84年に最後の帰国船が出るまで計9万3340人が移住し、そのうち日本人配偶者を含め日本国籍を持つ人は約6800人に及んだ。

 「帰国」とはいっても、参加者の大半は現在の韓国側の出身者だった。戦前から続く日本社会の差別に苦しみ、貧困を抜け出そうと新天地を求めたのだ。

 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝し、当時の政界もマスメディアも帰国事業を「人道的」と見なして後押しした。

 だが現実は過酷だった。資本主義体制からの「帰国者」は新たな差別を受け、貧困に苦しんだ人も少なくない。出国の自由も与えられず、政治犯収容所に入れられたケースもあり、今なお基本的人権が侵されている。

 今日の事態をもたらした第一義的な責任が北朝鮮にあるのはもちろんだが、日本社会の側にも帰国者を送り出した責任があることは否定できない。

 「楽園」からかけ離れた惨状は日本にも伝わっていた。しかし、実態解明を進め、北朝鮮に改善を求める大きな動きにはならなかった。メディアも長年、北朝鮮や朝鮮総連に関する報道に積極的ではなかった。これは私たちも反省したい。

 2002年の第1回日朝首脳会談以降は拉致や核・ミサイルが焦点となり、帰国者問題は注目されてこなかった。それでも近年、外交文書などの資料公開が相次ぎ、昨年にはジャーナリストらが脱北した帰国者の証言を記録する会を設立した。

 日本がこれまで受け入れた帰国事業関連の脱北者は北朝鮮生まれの2世らも含め約200人とみられる。政府はこうした人々の定住支援の充実を図る必要がある。働き盛り世代は十分な日本語教育を受けられず、就職の壁に直面している。

 日本人妻の一時帰国は過去43人にとどまる。拉致被害者や戦後の残留日本人の安否も不明で、終戦前後に死亡した日本人の遺骨収集も手つかずだ。

 14年のストックホルム合意で北朝鮮は「すべての日本人に関する調査を包括的に実施する」と約束した。政府は関係国とも連携し、北朝鮮に合意の履行を強く求める努力をするべきだ。

PR

社説 アクセスランキング

PR

注目のテーマ