「平和の在り方提起」 石橋政嗣氏死去、県内からも悼む声

西日本新聞 長崎・佐世保版 竹中 謙輔 華山 哲幸

 衆院旧長崎2区選出で、旧社会党委員長を務めた石橋政嗣氏が死去した。石橋氏を知る人たちは13日、聴衆を引きつける力を持つ演説など、在りし日の姿を思い起こしながら死を悼んだ。

 石橋氏の政治家としての原点は佐世保だった。

 台湾で生まれ育ち、陸軍で終戦を迎え、1946年に佐世保で再出発した。自著「『五五年体制』内側からの証言 石橋政嗣回想録」(田畑書店)に<いざとなれば炭鉱にでも行くかといった気持ちで佐世保に出た>と、当時の心境を記している。

 見つけた仕事は進駐軍の勤労奉仕隊だった。進駐軍に労務を提供する仕事で、労働者の出勤点検や賃金の計算などに従事。やがて労働運動で頭角を現した。

 全駐留軍労働組合長崎地区本部で委員長を務めた岡本昭三さん(91)=佐世保市=は「毎年、人員整理で労働者が解雇されていた時代。そこに立ち上がったのが石橋さん。荒くれ者たちを束ねる指導力、決断力があり、あんな優秀な人はおらんかった」と振り返る。

 51年の県議選に社会党公認で初当選。55年の衆院選で長崎2区(当時)から立候補し、30歳で国会議員となった。元蔵相の北村徳太郎氏に続く2番目の得票だった。

 国会では防衛問題の専門家として名をはせ、60年の安保国会では社会党の「安保5人男」の一人として反対の論陣を張った。

 回想録によると、東京・神田の書店街を回っても防衛に関する著作や論文がなく、独学でまとめた記録は大学ノート約30冊分になった。こうした積み重ねは後に代名詞となる「非武装中立論」として結実した。

 社民党の衆院議員だった今川正美さん(72)=佐世保市=は「非武装中立の理念は、佐世保の全駐労時代の経験とその後の勉強で身に付けた確固たるものだった」と語る。勉強家でメモ魔だった石橋氏。「見た目は非常に堅いが、柔軟性もあった」と人間的な魅力にも触れた。

 演説も「聞く人を飽きさせないおもしろさ、引きつける力があった」(岡本さん)と定評があった。

 県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(79)は40年ほど前、長崎市の鉄橋で石橋氏の演説を初めて聞いた。「中曽根政権の安全保障政策について関連予算の額までよどみなく紹介し、強く批判する姿が印象に残った」。社会党に入るきっかけになった人だけに「偉大な指導者だった」と今も思う。

 元社民党佐世保市議の早稲田矩子さん(77)は「基地に頼ってばかりでいいのか。平和の在り方について、現在の私たちも問われる課題を提起していた」と石橋氏の功績をかみしめた。 (竹中謙輔、華山哲幸)

長崎県の天気予報

PR

長崎 アクセスランキング

PR

注目のテーマ