平野啓一郎 「本心」 連載第98回 第六章 嵐のあとさき

西日本新聞 文化面

「どういうことなんですか? 母が、誰か別の人と子供を――その、僕を――作ったあと、別れて、その人とつきあってたってことですか?」

「うーん、……そうなのかもしれないけど、わたしにはそういうふうには説明してなかった。もっと曖昧だったから。」

 僕は、言葉を失った。

 母は一体、僕に何を隠していたのだろう?――しかし、そうした問い以上に、僕を不気味に見舞ったのは、母は一体、誰だったのだろうという、これまで考えたこともなかった根本的な疑問だった。

 三好が唐突に口にした“本当の父親”とは、どういうことなのか? そんな人間がいたとして、では、あのディズニーランドの写真の人物は、誰なのだろう?

 動揺して、僕は無意識に触っていたおしぼりから、糸を一本、引き抜こうとしていた。

 結局のところ、僕はこう問わざるを得ないところに、追い詰められていたのだった。

 僕は一体、誰なのだろう、と。……

 母を思い浮かべた。僕は不安なまま、心の中で母に問いかけようとした。けれども、想起されたのは母ではなく、<母>であり、何度払い除(の)けようとしても、あのニセモノは、「朔也(さくや)、どうしたの?」と立ちはだかって、僕を母にまで到達させないのだった。
 
 三好は、心配そうに僕を見ながら、

「大丈夫?」
 と続けた。

「……ええ。混乱してますけど。」

「そうよね。……」

 注文した覚えもない沈黙が届けられたかのように、二人ともしばらく、押し黙っていた。やがて、どことなく年長者らしい態度で、三好がその沈黙を片づけた。

「お母さん、藤原亮治って作家が好きだったでしょう?」

「ああ、……はい。」

 僕は、母の担当医と面会した際にも出たその名前に少し驚いた。

「本が好きなだけじゃなくて、昔、個人的にも会ったりしてたみたい。」

「……そうなんですか? 知り合いなんですか?」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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