平野啓一郎 「本心」 連載第99回 第六章 嵐のあとさき

西日本新聞 文化面

 「うん。知り合いっていう以上じゃないかと思う。藤原さんと、お父さんの問題とが関係してるのかどうかはわからないけど、会ってみたらいいかも。お母さんも、もう一度、あの人に会いたがってたから。」

「本当ですか?」

「うん。お母さんよりも年上だけど、まだご存命みたいよ。」

 僕は動揺した。まるで三好が、藤原こそは、僕の“本当の父親”だと思っているかのような口ぶりだったから。――そんなはずがなかった。

「――知ってる、あの人の考え方? “心の持ちよう主義”だって。」

 僕は、説明を聴かずとも察しのつく、その気の滅入(めい)るような「主義」に、知らないというより、拒絶の意味を込めて首を振った。そして、そのことをより明瞭に示すために、

「何でも“心の持ちよう”次第ってことですか?」

 と嘲笑混じりに言った。それは、昨今、遣(や)る瀬(せ)ないほどに広まっている一種、流行の考え方だったが、元を正せば、藤原の言い出したことなのだろうか? 特段、新しくも何ともないご託宣だったが、豊かな時代に聞かされるのと、今の時代に聞かされるのとでは、まるで意味が違うだろう。

 僕は、母の心の中の、最も穏やかな場所に、この何事も“心の持ちよう”次第という一種の諦念が巣くっていたことを、今更のように思った。だからこそ、「もう十分」と言えたのではなかったか。

 僕は、無力感に優しく抱きすくめられている母の背中を思い浮かべた。

 母はこの態度を、愛読していた藤原の本を通じて身につけたのだろうか? 或(ある)いは、本人から直接に諭されて? 少なくともそれは、母が、漠然とした社会風潮の影響を受けたと考えるより、よほど説得的だった。

「そういうことでしょう? わたしは、その人の本読んでないけど、言ってることはわかるよ。朔也(さくや)君、理解できない?」

 僕は咄嗟(とっさ)に、「AR(添加現実)でごまかしても、VR(仮想現実)でごまかしても、何も変わらない。結局、行動するしかないんだよ、世の中を変えるためには。」という岸谷の言葉を思い出して、それを僕の考えとして口にした。彼との会話では、必ずしも同意しながら聴いていたわけではなかったが。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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