聞き書き「一歩も退かんど」(45) おいの武器は「真実」 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 2005年9月22日。踏み字国家賠償訴訟は提訴から1年5カ月を経て、ようやく本人尋問にこぎつけました。途中で異例の裁判官による取調室視察もありましたが、これまで計11回の口頭弁論は書面のやりとりばかり。ようやく言いたいことを法廷で訴えられる日が来たのです。

 私はあの3日間をつぶさに証言しました。毎日身体検査され、黙秘権の告知もなかったこと。H警部補がこちらの話を聞こうとせず、机をたたいて「おまえはばかか」と怒鳴り続けたこと。私が「自分より年下と思うが何歳か」と言うと、「あーん」と殴られそうになったこと。病院から取調室に連れ戻されたこと。そして最後は、両足をつかまれ肉親の言葉を書いた3枚の紙を右から順に10回ほど踏まされたこと…。全ては本当にあった話です。

 これに対して県側の弁護士は「踏ませたのは1回じゃないですか」。私は思わず「冗談じゃない」と声を荒らげました。さらには「自分で紙に足を乗せたのじゃないですか」とまで言います。また、踏み字の言葉を書くのに使ったのが私が主張する黒のマジックではなく桃色の蛍光ペンだったとか、紙に書いた言葉が一部違うとか…。小さなうその積み重ねです。

 そんなやりとりの途中で高野裕(ゆたか)裁判官から「窓のない取調室でどうして時間が分かったのですか」と鋭い質問が。私が「前に座っているH警部補の時計を見ていました」と答えると、「あ、そう」と笑いました。

 この日は私に続き、妻順子の尋問も。妻は「夫がいくら体調不良を訴えても取り調べを続けたことが許せない」と、私の怒りを代弁してくれました。

 翌月、わが「ビジネスホテル枇榔(びろう)」の敷地に記念碑が建立されます。本来はホテルで使用する水をボーリングで掘り当てた地下水に切り替えた記念でしたが、私はその碑に大切な言葉を刻むことにしました。

 「真実」です。

 志布志事件の公判では決まって「中山信一と川畑幸夫が共謀して…」と、私の名が中山とセットで出てきます。傍聴が終わるたび「幸夫さん、今日も何回も呼ばれたな」と冷やかされるほど。起訴されてもいない人間を公判で平然と犯罪者扱いできる公権力と、どう闘えばよいのでしょう。

 おいの武器は「真実」だけ-。その一念で建てたのが真実の碑です。二度と冤罪(えんざい)被害を出させないという固い決意も込めました。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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