平野啓一郎 「本心」 連載第101回 第六章 嵐のあとさき

西日本新聞 文化面

 三好は、そう言って笑った。

 僕は、

「きれいですよ、三好さんは。」

 と言った。たとえ整形をしていたとしても、と言いたかったのだが、口にしかけたところで、酷(ひど)く不適切な気がして、先を続けられなかった。

 彼女は、微(かす)かに目を瞠(みは)ったが、笑顔は俄(にわ)かに失われて、どことなく冷たい、蔑(さげす)むような表情になった。しかし、それも僕に悪いと感じたように、辛うじて微笑(ほほえ)み直すと、

「行こっか。もう遅いし。」

 とタブレットの会計ボタンを押した。割り勘で精算すると、彼女は最後に言った。

「また会おうね。お母さんがいなくなっちゃったから、朔也(さくや)君が新しい友達よ。」

 僕はそれに、ただ、「はい。」とだけ答えた。そういう日になるとは、まったく思っていなかったので、僕は母が亡くなってから初めて幸福感を覚えた。

 恐らく、母の存命中にも、僕の知らなかった類いの喜びだったろう。

 

      *

 

 フィリピン東方沖で発生した台風14号は、中心気圧が920ヘクトパスカルという強烈なもので、進路予測では関東地方への直撃が懸念されていた。

 それからの一週間、人々はケータイでその最新情報を確認しては、沈鬱(ちんうつ)な面持ちで嘆息したり、空元気を振り絞って「ヤバいね。」と友人と笑い合ったりした。

 今年はまだ、日本への上陸がなかったので、このまま台風の被害もなく秋をやり過ごせるのではと、漠然と期待する向きもあったが、流石(さすが)にそうはならなかった。例年、各地で大きな被害が出て、その多くは未(いま)だに復興の途上であり、そのことが、いつしか日常的な風景の一つと化していた。

 僕の住む町でも、人々は、台風を迎える準備を進めていたが、それはほとんど、小動物が巣穴に籠(こ)もって体を丸めるような風情だった。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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