ハンセン病元患者支援 「ヒューマンライツふくおか」古長美知子さん

西日本新聞 ふくおか都市圏版 大坪 拓也

 「差別されてきた側に近いからこそできることがある」。古長美知子さん(64)=福岡市=はハンセン病の元患者や支援者の交流機会をつくり、元患者が描いた絵画の保存などに取り組んできた。会報や新聞記事をめくりながら穏やかに語るその姿から、逆に強い信念が伝わってきた。

 2015年に設立した一般社団法人「ヒューマンライツふくおか」(同市)の代表理事。亡き祖父はハンセン病を患い、父は、国に対し家族への賠償責任を認めさせた訴訟の林力原告団長(95)だ。

 「入所者の人たちが生きた証しを残したい」と、16年に国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)の絵画クラブ「金陽会」の法人化を主導。1953年発足の金陽会は社会から隔絶された人たちのよりどころで、園内の風景や幼い頃の記憶を描いたこれまでの作品約850点を残してきた。法人化によって遺作も管理が行き届き、展示会も開きやすくなった。

 少女時代、社会の不条理を肌で感じた。同和教育に熱心な小学校教諭の父と通った被差別部落の住環境の遅れは一目瞭然だった。一緒に楽しく遊んだ子どもたちは、学校では伏し目がち。教師に給食費滞納をとがめられた。「いつの間にか、人権とは何かを考えさせられていた」

 古長さんが19歳になった1974年。父は著書「解放を問われつづけて」の中で患者だった祖父について公にした。だが、娘である古長さんには多くを語らなかった。「まだ偏見が根強く、心配させたくなかったのかも」と振り返る。

 大学で油絵を学んだ後、県内の養護学校(当時)で介助員を務め、いったん離職。40代で社会福祉法人の職員になり、芸術活動を通して障害者の自立を支えるようになった。父の著書を読み返し、障害者差別や自らの背景に向き合い、最期まで祖父が暮らした鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」に通い始めた。

 入所者と語らう中で、孫娘を抱くこともかなわなかった祖父の人となりに触れた。「『もう帰るの』と引き留められ、また皆に会いたいと思った」

 深い孤独を強いられた元患者の心を少しでも和らげようと、2年前から、祖父が建立に携わった園内の寺院で元患者や支援者が集う会を企画している。「もう園外に出ることはなく、皆さんと話す時間が唯一の社会復帰です」と話した90代の男性入所者の言葉が耳に残る。

 元患者の高齢化で負の歴史の風化が懸念される。「誤った法律や偏見が差別を生んだ。国や社会は間違いを犯すというメッセージを伝え続けたい」。新年からは、寺院の歴史の記録づくりに取り掛かる予定だ。 (大坪拓也)

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