「ラーメンの鬼」渾身の一杯 深みあるご当地の味

西日本新聞 もっと九州面 小川 祥平

◆ラーメン のれんのヒストリー 替え玉(2) らぁ麺むらまさ(佐賀県唐津市)

 塩、しょうゆは唐津産。鶏がらはみつせ鶏を使っている。透き通ったスープは、和だしに支えられた柔らかな風味。エッジの立った麺ともよく合う。「らぁ麺むらまさ」(佐賀県唐津市)の一杯は地元食材にこだわる。ただ、成り立ちをたどると、横浜から話を始めないといけない。

 きっかけは11年ほど前、横浜市内のスナックで交わした言葉だ。「ラーメンやりませんか」。造園会社「グリーンアーツ」(唐津市)の村山昌治社長(61)は、新横浜ラーメン博物館(横浜市、ラー博)の岩岡洋志館長(60)からそう言われたのを今も覚えている。

 ラー博は国内外のラーメン店が集まるフードパーク。道向かいに系列の商業施設があり、その建設にグリーンアーツが関わったことで2人は親交を深めていた。当時、建設不況で異業種参入を模索していた村山さんは心動かされた。

 テレビで活躍し「ラーメンの鬼」と呼ばれた佐野実さんをプロデューサーに迎え、新たなご当地ラーメンを創る企画が始まった。「テレビでの印象と違い、優しく情のある方でした」(村山さん)。佐野さんには何度も唐津に足を運んで食材探しをしてもらった。社員を横浜で修業させ、2009年9月にラー博に出店。翌年4月に唐津で凱旋(がいせん)オープンを果たした。

 渾身(こんしん)の一杯はすぐ受け入れられた。「唐津はうどんもよく食べられるから相性がいいのかも」と村山さん。順風満帆にも思えたが、5年目となる14年は試練の年となった。4月に佐野さんが63歳で逝去した。加えて横浜で学んだ店長も店を去ることに。「佐野さんや岩岡館長に申し訳が立たない」。存続への思いむなしく、同年末に休業に追い込まれた。

   □    □

 助け舟を出したのは佐野さんの妻しおりさん(59)=福岡県小郡市出身=だった。「佐野が力を込めて作っていた。なくなるのはさみしかった」からだ。

 しおりさんには腹案があった。佐野さんを師匠と仰ぎ、佐賀県鳥栖市で「中華そば みのる」を経営する古沢賢一さん(53)に連絡を取り、意中の人物の意向を聞いてもらった。

 「正月明けに父から電話がありましたよ。『むらまさで働かないか』って」

 古沢さんの長男、将さん(31)はそう振り返る。将さんは久留米発祥の「大砲ラーメン」で経験を積んだ職人。当時は福岡市で和食料理人として働いていた。急な話に迷ったが、しおりさんの思いを受け止めることにした。「いずれラーメンに戻りたい気持ちがどこかにありましたから」

 将さん自身、佐野さんと浅からぬ縁があった。大砲時代にはラー博店で働き、同じくラー博に出店していた佐野さんにかわいがってもらった。「質問をぶつけると隠さず教えてくれる。ラーメンを語る時の真剣な目を思い出します」。大砲退職後は父親の店を手伝い、佐野さんの一杯の繊細さを知った。

 15年、2カ月の休業をへて、むらまさは生まれ変わった。これまでの造園会社社員ではなく、飲食業の経験豊富な将さんが店長になった。再び軌道に乗り、今年11月には唐津市中心部に支店を出した。定期的に通うしおりさんは「基本の味はそのまま。今まで以上によくなった」と喜ぶ。

 「新ご当地ラーメン」と銘打って生まれたこの一杯。将さんは「唐津といえば『むらまさ』と根付きつつある」。その言葉を聞き、再びスープに口をつけた。あっさりとしつつ深みを感じるのは、さまざまな人の思いゆえだろうか? それもあながち間違いではない気がしてきた。 (小川祥平)

 =月1回掲載

PR

九州ニュース アクセスランキング

PR

注目のテーマ