平野啓一郎 「本心」 連載第103回 第六章 嵐のあとさき

西日本新聞 文化面

 絨毯爆撃(じゅうたんばくげき)という言葉があるが、きめ細かな巨大な雨のシートが、絶え間なく上から落ちてくるようで、僕は灰色の空を背に、風に強く煽(あお)られて翻るその一枚一枚を、窓辺で飽かずに眺めた。

 直撃は水曜日の午後二時とされていて、交通機関は朝からすべてストップしていた。

 車道を行き交う車も疎(まば)らだったが、萌(きざ)し始めた強風の足許(あしもと)で、逃げ遅れたように走り抜けてゆく数台が遠くに見えた。

 僕も、流石(さすが)にこの日は仕事がなかったが、朝食にパンでも囓(かじ)ろうかと思っていた矢先に、岸谷からメッセージが届いた。

「これから仕事なんだよ。」

 僕は驚いて、

「今から? この台風の中?」
 と返信した。

「そう。会社には内緒な。前から知ってるお客さんから、裏で個人的に頼まれた仕事だから。どうしても今日、運んでほしいものがあるんだって。」

「どうやって? 電車も止まってるのに。」

「車借りた。それでもかなりの儲(もう)けになるから。」

 何の依頼なのだろう? 僕は岸谷の身を案じた。窃盗疑惑の一件についても、メッセージを送ったが返事がなかった。

 画面には長らく、岸谷が文章を<入力中>だという表示が出ていたので、僕は返信を待った。しかし、届いたメッセージは思いの外、短く、しかも既に、別の話に変わっていた。

「俺さ、結婚したいんだよ。家庭を持ちたいんだ。」

 僕は、その唐突さを訝(いぶか)った。具体的な話なのか、ただの願望なのか。

「だから、金が要るんだ。」

「いいね。けど、死んだら元も子もないよ! こんな台風なのに。」

「大丈夫だよ、そんなにヤバい方角じゃないし。何でもやらないと、金が貯(た)まらないから。今のままだと、どの道、五十歳くらいまでしか生きられないよ、金が持たなくて。」

 岸谷の表情は見えなかったが、前回の支離滅裂さとは違って、今日は落ち着いている様子だった。仕事の前で酒も飲んでないだろうが、僕は却(かえ)って、胸騒ぎを感じた。

「窃盗疑惑の件、どうなった? 心配してたんだけど。」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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