平野啓一郎 「本心」 連載第104回 第六章 嵐のあとさき

西日本新聞 文化面

「俺はやってないよ。」

「それは知ってるけど、疑いは晴れたの?」

「警察に家宅捜索されたけど、何にも出てこなかったから、それで終わり。ムカつくだろ?」

 僕は同情するような絵文字を送ったが、ふと、この話は、やっぱりおかしいんじゃないかと感じた。家宅捜索というのは、本当にその窃盗容疑のためのものだったのだろうか? 何か他に目的があるのでは? それは、岸谷が暗殺ゲームに夢中になっていると聞かされた時から燻(くすぶ)っている僕の懸念と結びついた。

「何を運ぶの、今日?」

 知るべきではないことのはずだったが、僕は覚えず、そう尋ねた。送信後に、後悔したが、岸谷はただ、

「それは、俺も知らないんだよ。」
 と言っただけだった。

 僕は嘆息して、ソファに場所を移動した。

 風が一吹(ひとふ)き、窓に雨を強く打ちつけた。

「まあ、そういうわけで、行ってくるわ。」

「気をつけて。無理しないようにね。また連絡するよ。」

 岸谷は、最後は親指を立てた絵文字だけを送って寄越(よこ)した。

 彼はこの時、僕に何を伝えようとしていたのだろうか?

 結婚したいというその言葉が、ずっと、僕の心の中に残っている。相手は、実際にいたんだろうか?

 今となっては、もうわからない。ともかく、僕が彼とやりとりを交わしたのは、これが最後となってしまった。
 
      *
 
 台風の接近には、メディアと現実との当然すぎる呼応があった。

 天気図上で、正(まさ)に台風が関東に到達した時、僕の家も強風の渦中にあった。既に通過した地域では、死者も出ているらしい。

 雨そのものが、悶(もだ)え苦しんで暴れているかのように、何度となく、窓ガラスにぶつかる音がした。

 街は蹲(うずくま)って、その丸い背中を打たれるのに任せながら、俯(うつぶ)せの顔をゆっくりと水に浸していった。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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