アイドル編<446>天才アレンジャー(上)

西日本新聞 夕刊

 アレンジャー(編曲家)は歌手、作詞家、作曲家に比べれば影の存在である。しかし、メロディーに伴奏をつけ、イントロ(前奏)、間奏を施して完成品として楽曲を仕上げるのはアレンジャーの仕事だ。福岡市出身の大村雅朗は「天才アレンジャー」と呼ばれた男だ。

 「バラードのアレンジは、本当に美しく切なく、そして繊細で素晴らしいです。アップテンポの曲はスピード感があり、おしゃれで、とても素敵なアレンジばかりです」

 歌手の松田聖子は「大村雅朗の軌跡 1951-1997」(梶田昌史・田渕浩久著)の中で、大村のアレンジについてこのように語っている。大村は作曲家、編曲家として松田に代表作の「青い珊瑚礁」や「SWEET MEMORIES」など多くの楽曲を提供した。松田の「育ての親」といわれる存在だった。

 本のタイトルの中の「1997」という数字で途切れているのはこの年の6月29日に、大村は46歳の若さで生の音を閉じた。八神純子の「みずいろの雨」(1978年)の編曲で一躍、世に出た大村は70年年代末から80年代のアイドル歌謡の全盛時代を支えたアレンジャーであり、約20年間に約1600の楽曲を、松田をはじめ多くの歌手に差し出した。大村なしではアイドル歌謡は語れない。

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 大村の実家は福岡市博多区の老舗染物店「大村京染店」である。現在の店主は大村の10歳上の長兄、大村芳正(78)だ。大村は「結婚すると感性が鈍る」と独身を通した。大村の手書きの楽譜などの遺品は実家に残っている。

 芳正は、大村の音楽の出発点は「小さいころから習い始めたピアノではないでしょうか」と語る。博多第二中学(現博多中学)、福大大濠高校時代には吹奏楽部に属し、3年生のときには部長を務めた。

 こうした子どもの志向を理解したのは父の清太郎だ。清太郎は当時、珍しかったスキークラブを作り、バイクを乗り回した。芳正のその妻の嘉子は清太郎について「新しがり屋でしたし、子どもの夢を応援する人でした」と話す。野球好きな芳正には「プロ選手になれ」とも言った。

 子どもの個性を尊重した父。そして、博多人気質の一つである「新しがり」。大村はメジャーになっても博多出身を強調することはあまりなかったが、アレンジャーとして常に個性と新しさを求め続ける素地はすでに博多時代に形成されていた。

  =敬称略 

 (田代俊一郎)

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