ぽやっとぶらぶら 岩田 直仁

西日本新聞 オピニオン面 岩田 直仁

 年の瀬に1年間の訃報を読み返し、略歴をたどりながら昭和と平成に思いを巡らせる。記者歴30年を超え、取材した人の逝去も増えてきた。その不在に改めて思いが至り、胸がしんと静まる。

 取材できなかったことを悔やむ人もいる。10月16日、熊本出身の詩人、高木護さん=東京=が亡くなった。92歳。「一流ではないでしょうが、欲望と消費が支配する時代だけに、もっと読まれるべき人です」。福岡出身の詩人、松永伍一さんから薦められたが、大半は絶版だった。古書店で見かけるたびに手に入れてきたが、取材の機会は訪れなかった。その松永さんも既にこの世にない。

 高木さんは1927年、現在の山鹿市で生まれた。少年軍属として東南アジアに赴き、46年に復員。炭焼きや土工、ドブさらいなど60を超える仕事に就き、九州一円を転々としながら、貧乏暮らしを続けた。安宿にも泊まれず、野宿することも多かった。

 30代半ばで東京に転居、執筆に専念する。「ぶらぶら」と呼んだ前半生の浮浪体験を繰り返し吟味し、「人夫考」「野垂れ死考」など多くの随筆集を出した。功利と効率、勤勉と競争を原理とする社会と人間を、底辺からユーモアを込めて問い返した。その生き方を貫くのは、いわば「ぶらぶらの哲学」だ。

 食い物であれ、お金であれ、一人分の欲で充足し、ぶらぶらと行きたい所へ行き、好きなところで眠る。自由気まま。その日の食いぶちの分だけ、働いて稼ぐ。「欲たれ」にならぬよう警戒を怠らない。現代では難しい、「行」のような生き方だ。浮浪と軽く見るわけにはいかない。

 貧しくとも自由に生きた人は、人間の根源的な空虚や寂しさを知る詩人でもあった。例えば初期の<雲>-。

白い雲が浮いていた/あご髯(ひげ)のような雲がおかしく/あんまりしんから眺めていたら/雲からほろりと/ごみのような涙がおちてきた

 ぶらぶらと生き抜いて、晩年に詩集「ぽやっと」を出した。収録作の<ゆめ>-。

ぽやっとしていたら/ぽやっと頭が大きくなり/ぽやっとゆめがひろがり/ゆめの中から/ぽやっとした道がつづき/道の彼方(かなた)から/ぽやっと風が吹いてくる

 労働者でにぎわう近所の食堂で客を迎え、焼酎を飲んで文学を語るのが常だったという。ぶらぶら一緒に歩いて、昼からぽやっと酒を飲んでみたかった。 (論説委員)

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