「原爆焼」を広島へ寄贈 筑後市の男性、骨董店で購入

西日本新聞 筑後版 丹村 智子

 福岡県筑後市の中村龍正さん(67)が、趣味の骨董(こっとう)店で見つけた陶器「原爆焼」を購入し、広島市の広島平和記念資料館に寄贈した。原爆焼は広島の爆心地の土を混ぜて作ったとされ、なぜ九州にあったのか経緯はわからない。中村さんは「多くの人に見てもらい、原爆について考えるきっかけになれば」と話している。

 原爆焼は1950年ごろ、広島県福山市で発足した広島原爆記念会が発案した。趣意書などによると、被爆の回顧と戦争への反省を促し、売り上げの一部を復興や戦災孤児の支援にあてるため作られたとされる。5年間で96万個を全国に頒布する予定だったが、実際はそれより少なかったと見られる。

 中村さんは10年ほど前、熊本県山鹿市の行きつけの骨董店で、黒に深緑や焦げ茶が入り交じった陶器を見つけた。「つやが美しく色もいい」と手に取ると「広島原爆中心地の土 原爆焼」との刻印が。気に入ったが「気軽に扱ってはいけないもののような気がして」購入には至らなかった。

 今月初旬、中村さんの長女仁美さん(43)がインターネットで原爆焼の記事を見つけ、中村さんはその由来を知った。以前手にした原爆焼が脳裏に浮かび「埋もれているのも気の毒。広島に帰してあげたい」と今月10日に3千円で買った。店に入手の経緯を尋ねたが、仕入れた先代は他界しており、分からなかった。

 「なんでこんなものを作ったとやろか。原爆の被害を後生に伝えようとしたのか」。中村さんは家族会議の末、広島市の平和記念資料館に寄贈を申し出、14日に家族で広島に出向いて手渡した。

 資料館には中村さんの分も含めて五つの原爆焼がある。福山市の広島県立歴史博物館も所蔵しており、個人所有も含め、これまで十数点が確認されている。長崎市でも、被爆しながら救護にあたった故永井隆博士に贈られた3点が見つかっている。形は数種類あり、いずれも「原爆焼」の刻印が押され、原爆で長男を亡くした歌人の山本康夫氏の短歌が刻まれている。

 資料館の土肥幸美学芸員によると、原爆焼はいずれも入手した本人が亡くなっている。どんな経緯で各地に広がったのか詳細は不明で、地元紙の報道をきっかけに3年前から寄贈されるようになったという。土肥学芸員は「当時の社会情勢や文化を考える上で非常に興味深い」と話す。中村さんが寄贈した原爆焼は、被爆資料として展示する予定だ。 (丹村智子)

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