なまった英語で我慢しろ

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 私の英語力は、例えるなら「ずいぶん前から冷蔵庫の奥の方に入っているえたいの知れない瓶詰」のようなものである。

 2年ほど特派員をしていた。アジアの非英語国ではあったが、それなりに英語を使って仕事をし、用も足していた。しかし帰国後12年、英語を使う機会はほとんどなく、英語力を維持する努力も全くしていない。

 つまり冷蔵庫の瓶詰同様、中身が腐っていることは確実だが、怖くて開ける気にならない。確認するのが嫌でそのまま放っている、という状態だ。

 大学入学共通テストで予定されていた英語民間試験の導入が延期された。萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言で民間試験の問題点があらわになったためだ。これを契機に議論は「日本人が身に付けるべき英語力とはどういうものか」へと発展しつつある。

 私がこの議論に参加する資格があるかは疑問だが、アジアの国で「国際語としての英語」に触れた経験は有益だったと思う。

   ◇    ◇

 明石康さんといえば、長年国連事務局に勤務し、事務総長特別代表まで務めた人だ。英語力に疑いの余地はない。その明石さんが、英語で苦労した人たちの体験談を集めた「英語のバカヤロー!」(古屋裕子編、泰文堂発行)という本で、こう断言している。

 「なまりのない英語には魅力がない」

 明石さんは国連トップの歴代事務総長のほとんどと面識がある。その出身国はスウェーデン、ミャンマー、エジプト、韓国などさまざま。「皆さん立派に英語もフランス語も話しましたけど、お国なまりが残ってました」。なまりは出身国によって独特だった。

 「けれども歴代総長はそのなまりを気にせず、理性的に話していました」「総長の言うことの95%は誰にでも理解できたし、総長もほかの人の言うことの98%は理解できたでしょう」

 世界中から集まった職員がそれぞれなまった英語を話す。それが国連なのだ。

 「日本人は完璧主義というかメンツを重んじるせいか、自分のなまりを気にしすぎます」「勝負は内容でやるのだから、表現は『自分なりの英語でやる』と腹をくくることが大事」

 ああ、元気づけられる。

   ◇    ◇

 英語が国際語となってしまった今、米国人や英国人など英語を母国語とする人々は、われわれのように膨大な時間とかなりのお金をかけて他言語を習得する労力を免除されている。よく考えればこれはとんでもない不公平ではないか。

 それだけの特権があるのだから、彼らにもちょっとは我慢してもらおう、というのが私の主張である。

 国連はもちろん世界中の非英語圏で英語は出身地の違う人々がコミュニケーションをとるための道具だ。ネーティブの発音、アクセントの人間が一人もいない場で、英語での議論が行われることもしばしばだ。

 そこに米国人が一人加わったとする。おまえたちの英語はおかしい、と言ったところで多勢に無勢。忍耐と想像力でこちらの言うところを理解してもらうしかない。逆にアジア人やアフリカ人が米国人に堂々と「あんたの英語は分からん。もっと分かるように話せ」と言う。それが私の考えるグローバル化である。

 (特別論説委員)

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ