平野啓一郎 「本心」 連載第111回 第六章 嵐のあとさき

西日本新聞 文化面

 なぜ、母の生前に読まなかったのだろうか。

 ソファで膝を抱えたまま、窓ガラスに打ちつける激しい風雨を眺めていた。

 そして、僕はようやく、こう考えたのだった。――母について。つまり、母は僕を、欺(だま)したまま、死んだのではないか、と。……

   第七章 転機

  台風の通過後、一月足らずの間に相次いで起きた出来事が、僕の人生を変えつつあった。

 例年のことだが、各地で大きな被害が出たので、僕の仕事は、当面、被災者やその近親者からの依頼が大半となった。

 買い物が多かったが、浸水した自宅の様子を見に行ったり、流れ込んだ泥の撤去を手伝ったりすることもあり、連日、肉体を酷使した。雨天の日が多く、危険を理由に断った依頼も幾つかあったが、それでも、僕の評価は、一時よりもかなり持ち直した。

 無論、ボランティアではなく、報酬を受け取っており、依頼者は、その余裕のある人たちで、避難所を訪れる時には、周囲の目を気遣った。

 

 少しでも時間があれば、すぐに眠ってしまっていたので、ニュースはほとんど見ておらず、<母>との会話から情報を得て、気になれば検索する程度だった。

 その日、居眠り半分の入浴後に、麦茶を飲んでぼんやりしていた僕に、<母>は唐突に言った。

「知ってる? 前の財務大臣をドローンが襲撃する事件があったんだって。」

「え、そうなの?」

「うん、ずっとそのニュースよ。知らない?」

「全然知らなかった。一日中、泥浚(どろさら)いしてたから。」

「夜の話よ。」

「そう?――どうなったの?」

「失敗したみたい。まだ犯人は捕まってないみたいよ。」

「へえ、……そう?」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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