なぜ、今、唐十郎か

骨のある言葉、スマホ世代を刺激 罵倒劇、生々しくも動物的に

西日本新聞 吉田 昭一郎

 連載 なぜ、今、唐十郎か㊤

 1960~70年代のアングラ劇の第一人者、唐十郎に再び脚光が当たっている。代表作「少女仮面」(69年、岸田国士戯曲賞)が2020年、都内で相次いで上演されるのだ。なぜ、今、唐十郎なのか。「少女仮面」の世界を読み解きつつ、福岡市で12月、「日本の戯曲研修セミナー」唐十郎編を開いた日本演出者協会の流山児祥理事長に魅力を聞いた。

 「唐十郎の戯曲は、人と人が怒鳴り合う。差別語もある。もちろん、差別は絶対よくないし、人を罵倒することも悪いことだが、人があらゆる面で制御され、自己規制している閉塞(へいそく)状況の時代だからこそ、舞台の上で繰り広げられる根源的で生々しくも動物的な人間のコミュニケーション、罵倒劇が魅力的なのではないか」

 「今、ヤバイと思うのは、お互いのことが分からずに突然、暴力行為に至る状況だ。家族間でいきなり刺すこともある。かつては罵倒し合っても、お互いを分かり合っていた。要するに唐十郎の舞台は健全に他者と出会う、だから元気なんだと思う」

 「少女仮面」は、「ヅカ・ガール」志望の少女、貝が地下喫茶店を訪れ、男役スターで店の経営者の春日野に演技を習う。2人は「嵐が丘」(エミリー・ブロンテ原作)のけいこを通じて心をぶつけ合い、春日野の自己喪失感情の爆発へと向かっていく。]

 店員たち、腹話術師と人形など奇妙な面々が折々に顔を出し、騒動を起こしては怒鳴り合う。店の主任とボーイの掛け合いは、罵倒劇そのものだ。

 「生意気言うな。きさまは靴だ、コーヒーを運ぶ靴だ」「おまえは靴だ。こきつかわれる靴だ」「おまえは靴だ。おまえという名の靴だ」
 強圧的な主任に、ボーイは必死に抗弁する。

 「僕は僕です」「僕が僕を思わずに、誰が僕を思うのですか」「そんなの、僕は嫌だ」「考える暇なんかないじゃないか、もっと人間らしい時間が欲しい」

 ボーイたちはトレイのコーヒーを抱えたままタップダンスを強要される。主任は体を不自然に激しく躍動させて制圧する。笑いだしたくなるおかしさだが、その肉体表現は高度成長の極みに届く頃の会社の上司と部下の関係をあてこするようであり、哲学的な対話にも聞こえる。毒々しい権者の嘲罵(ちょうば)と青年らしい直球の反論の衝突が、ある種の爽快さや豊かさに通じる不思議な世界だ。

 

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