出撃見送った93歳、反戦誓いゼロ戦に初搭乗 大刀洗平和記念館

西日本新聞 社会面 上野 洋光

 旧海軍の飛行予科練習生だった佐賀県鳥栖市の古沢正義さん(93)が福岡県筑前町の大刀洗平和記念館を訪れ、展示中の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)に搭乗した。戦後74年を経て、初めて「憧れ」の機体に乗った古沢さんは戦死した先輩たちに思いをはせ、「多くの若者が消耗品として扱われた。むごい戦争は二度とするもんじゃない」と次世代にメッセージを送った。

 全国のゼロ戦ファンが機体を清掃する集いが同館で今月21日にあり、古沢さんも招かれた。搭乗前、作業着に着替え、機体に向かって深く一礼。「先輩たちの霊を慰めた。自然と頭が下がった」と古沢さん。

 古沢さんは17歳の時、予科練に受かり、1945年3月に特攻基地の一つだった鹿屋海軍航空基地(鹿児島県鹿屋市)に配属。何度か練習機で訓練したものの、間もなく米軍機の空襲を受け、ほとんどの機体が壊された。その後、特攻機の中継基地として使われるようになり5、6両月は連日、滑走路脇に整列し、帽子を振って出撃を見送ったという。

 「感傷的にはならなかった。どうせ自分も後で行くんだ、と思っていた」と古沢さん。ところが、その後も訓練はなく、結局出撃の機会がないまま終戦を迎えた。「武器もない日本が勝てるわけがなかった。当時の上層部がどんな思いだったのか今でも聞きたい」と話す。

 戦後は故郷の鳥栖市に戻り、親類が営む印刷工場に勤務。職場結婚で子ども3人を授かったが、これまで戦争の話はほとんどしたことはなかった。最近、周りに戦争体験者が少なくなり、若者に話したくなったという。

 「操縦席に座って青春時代を少し思い出せた」と喜んでいた古沢さんが取材中、語気を強めたことがあった。「特攻は志願して出撃したと誤解していませんか。『志願者は一歩前へ』と言われれば、全員が前に出たんです。命令は絶対服従の時代でしたから。特攻で亡くなった先輩にそう聞きました」。計り知れないほどの無念さを代弁する一言だった。 (上野洋光)

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