【中村哲という生き方】(中)ニホンオオカミと呼ばれ

西日本新聞 社会面

「議論は無用」現場に徹す

 「ぜひともニホンオオカミに帰ってきて、吠(ほ)えてもらわないと」。俳優の故菅原文太さんはかつて、アフガニスタンで用水路建設に取り組む中村哲医師にそう言ったことがあるという。

 ラジオでの対談をきっかけに交流があった。晩年には農業に取り組み、政治を憂える発言でも知られていた菅原さんは「弱きを助けて強きをくじく『侠気(きょうき)』の人」と中村さんにほれ込んでいた。アフガンでの活動を紹介する記録映画のナレーションも無報酬で担った。

 絶滅したニホンオオカミに例えられた中村さんはどう答えたか。「いやあ、自分は吠えるんじゃなく、かみつくんですよ」

   ◇   ◇

 現実に、かみついた場面がある。

 米中枢同時テロが起きた2001年。首謀者をかくまっているとして米国がアフガン攻撃に動く中、自衛隊による後方支援を可能にする特別措置法案が国会で審議された。特別委員会に参考人として出席した中村さんは断じた。

 「自衛隊派遣は有害無益でございます」

 中村さんは折に触れて、アフガン人の親日感情を紹介していた。日本について連想されるのは日露戦争とヒロシマ、ナガサキ。列強に伍(ご)し、原爆の悲劇から戦争をせずに復興を果たした平和国家として、他国が絡む戦乱に苦しんできたアフガン人から圧倒的な親密感を抱かれてきた。自衛隊派遣は、それを礎とした信頼関係を崩しかねない。

 「失礼ですけれども、国会議員の先生方以上に現地の庶民の方が冷静に事態を判断しております」「空爆はテロリズムと同じレベルの報復行為ではないかと」

 委員会室は騒然となり、やじが飛んだ。自民党議員からは発言を取り消すよう求められた。それでも現場で培った考え方を曲げようとはしなかった。

 いわゆる教条的な「左翼」でもない。

 「天皇と平和憲法があっての日本」。何度も皇居に招かれ、今の上皇ご夫妻に活動を報告した。「私はナショナリスト。元々、日本人の誇りを持っていたから」と、アフガンで使う車には長年、日の丸を描いていた。

   ◇   ◇

 「平たく言えば、人情味あふれる浪花節の人だった」と、中村さんのよき相談相手だった徳永哲也さん(72)=福岡県朝倉市=は振り返る。同市の山田堰(ぜき)が現地の取水堰のモデルとなったことが縁で、10年ほど前から親交を深めてきた。

 昨年4月にはアフガンを訪問。農家の経験を生かしてオレンジ園で剪定(せんてい)のやり方を教え、大正時代に日本で普及した人力の「足踏み脱穀機」も紹介した。

 事業はまだ途上にある。中村さんは貪欲だった。もっと農業生産を上げられないか、取水堰を改良できないか-。「中村先生が考えていたのはイデオロギーじゃない。眼前の人助けの方法だけでした」

 著書で中村さんは述べている。「唯一の譲れぬ一線は『現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のために働くこと』である」。現地のアフガン人には、よくこうハッパを掛けた。

 「Discussion is not required.Just do it!(議論は無用、実行あるのみ!)」

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ