遊女、髪結い…近世長崎の暮らし、生き生きと 江戸時代の古文書発見

西日本新聞 一面 野村 大輔

 江戸時代の長崎・出島に出入りした職人や、江戸の吉原と並び称された丸山遊郭の遊女が市中で引き起こしたトラブルの公的記録が、長崎市の古書店で見つかった。町政を担う地役人「町乙名(まちおとな)」の本山家が残した史料群の一端。国内の貿易拠点だった長崎の市井の暮らしが表され、専門家は「都市研究の裾野が広がる」と期待する。

 近世長崎では、江戸から来る長崎奉行が貿易や裁き(裁判)を、町年寄を筆頭とする地役人が町政を担っていた。町乙名は市中80町にそれぞれ置かれ、各町を取りまとめる役職。本山家は代々、繁華街の本石灰(もとしっくい)町を管轄し、出島の管理や市中全体の争い事の仲裁も任された。

 長崎市長崎学研究所が昨年3月、1800年代前半の業務記録や給与明細などを記した約50点を古書店で見つけた。記録には、裁判沙汰に至らない軽微なもめ事が事細かに書き残され、幕末に当主を務めた本山騰之丞(とうのじょう)の名が記された文書も含まれる。

 記録によると、諏訪町在住の常吉は出島でオランダ人の髪を結う仕事を認められていた。ある日、オランダ人の不在時に弁当を販売したことが発覚し、稼業差し止めの処分に。常吉は「今一度稼方(かせぎがた)御免」と、稼業の再開を嘆願。町乙名に認められたという。

 丸山遊郭に関する記録が多いのも特徴だ。引田屋の遊女5人は店の1番人気の遊女九重ともめ、店を出る。一度は店に戻ったものの、再び九重と口論となり、なじみの町民数人が逃走を手助けしたり、5人の親が店に身柄を引き渡すよう申し出たりする騒動に発展したという。

 庶民とオランダ人との関わり、遊女という特殊な職業の実相が読み取れる。長崎大の木村直樹教授(日本近世史)は「長崎の町政の在り方、庶民の日常が、これまでに見つかった記録以上に具体的に分かる」と評価する。

 町乙名の公的記録は、職人街だった桶屋(おけや)町の藤家(ふじけ)文書が市史の基礎資料として使われ、過去にも見つかっている本山家の文書は解読が進んでいない。研究所の藤本健太郎学芸員は「本山家文書の全容把握を進め、藤家文書と比較することで近世長崎の町の様子をより深く解き明かしたい」と話している。 (野村大輔)

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