【中村哲という生き方】(下)「ナカムラ学校」魂 脈々と

西日本新聞 社会面 中原 興平

「苦楽をともに」住民と絆

 アフガニスタンの用水路建設現場で中村哲医師を撮った写真のほとんどに、1人の青年が写り込んでいる。中村さんの運転手、ザイヌッラ・モーサムさん(34)だ。

 中村さんを支援する福岡市の非政府組織(NGO)ペシャワール会によると、専属運転手は「現地スタッフの中でも重要なポジション」。安全確保に大きく関わり、中村さんの側近として事実上の幹部候補生でもある。

 ザイヌッラさんは2007年に中村さんが率いる現地のNGO「PMS」(平和医療団)に参加した。生真面目な仕事ぶりと明晰(めいせき)な頭脳が認められ、数年後に抜てきされた。

 「若くして父を亡くしたこともあり、先生を実の父親のように尊敬していた」と同会の古参会員は話す。記者が現地を訪れた5年前も、常に中村さんの傍らに控え、言葉を聞き漏らすまいと腰をかがめるようにして話を聞いていた。重機には中村さん一人でも乗り降りできるのに、いつも体を支えた。

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 「大方針は現地と一体となり、苦楽をともにすること」。その言葉の通り中村さんは献身的に行動し、住民たちとの絆を築いた。

 1984年に赴任したパキスタンの病院では、医療器具といえば「押せば倒れるトロリー車が一台、ねじれたピンセット数本、耳にはめると怪我(けが)をする聴診器が一本」。患者は自ら背中に担いで搬送した。

 干ばつによる惨状を見かねて2003年にアフガンで始めた用水路建設では土木を独学。専門書が理解できず、娘から教科書を借りて微分や積分を学び直した。

 10年には住民の要望を受け、用水路のそばにモスク(イスラム教礼拝所)とマドラサ(イスラム神学校)を建てた。「テロとの戦い」と称するアフガン攻撃が続く中、マドラサを「過激主義の温床」とする見方が西側社会で広がり、地元の建設計画は行き詰まる中でのことだった。

 中村さんはクリスチャン。現地スタッフは「何があっても居続けてくれた先生だからこそ、信仰は異なっていても建設を頼めたし、実現してくれた」。ひときわ目を引くモスクの威容を見ながら、中村さんは目を細めた。「住民の喜びぶりは用水路ができたとき以上でしたよ」

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 戦乱に翻弄(ほんろう)されてきたアフガン。旧ソ連軍撤退やタリバン政権崩壊などの後、復興が叫ばれるたびに世界中から国際NGOが集まった。高給を理由にPMSのスタッフが次々と引き抜かれる苦境に陥った際、中村さんはメンバーに励ましの言葉を掛けた。「小さな石は流される。大きな石だけが残るのだ」。中村さんこそが、激流の中を微動だにしない岩だった。

 中村さんを襲った昨年12月の凶弾は、運転手のザイヌッラさんの命も奪った。唯一無二の存在、さらに将来のリーダー候補を失った衝撃は大きいが、中村さんの薫陶を受け、汗を流してきた100人規模のスタッフは残っている。

 「先生は医師であり、技術者であり、哲学者でもあった」。中村さんが「右腕」と頼りにしていたPMSのジア・ウル・ラフマン医師(64)は、事業の継続を誓う。「日本、アフガン両国には『ナカムラ学校』の生徒たちが多くいます。私たちは先生の哲学とスピリットでつながっているのです」

 中村さんが体現した信念は国境や世代を超え、確かに息づいている。(中原興平)

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